南 博 HIROSHI MINAMIのブログ

森羅万象/禁煙日記

禁煙日記20

今朝私は、頭にぽこんと空洞ができたが如くの感覚で目覚めた。奇異な気分である。今まで味わったことがない新しい感覚で、まるで私が今まで普通に見てきた日常の風景、つまり居間、ベッドルーム、洗面台のような見慣れた屋内の立て付け、また、カウチに座った状態で目に入る机の上の物、コップ、ペン立て、携帯電話などのケーブル、それらが、何の意味もなく、何を意味する訳でもなく存在しているように見えてならなくなった。さながら、倦怠感とも違う、静謐で凪いだ海面のような心根を伴う別の私自身に出会ったかのような心持ちである。そのような自分の観点から身の回りのものを見渡してみると、私の頭と同じように、全てがぽこんとしているのである。これは昨日の過ごし方、また身体に感じた、今までに経験したことの無い落ち着いた気分に起因しているのかもしれない。

 

 

昨日はプールが意に反し休館日だった。しかし、身体を動かしたいという衝動を抑えきれずに、私は、市民プールから戻るやいなや、海パン道具一式を寓居のドア口から玄関に放り込むと、おもむろに駆け出した。ジョギングのやり方を知らないにもかかわらず、やたらメッタラ信号の少ない道を選び、踵で地面に着地し、爪先で上体を蹴り上げることだけ意識して、寓居の周りを約45分間走りきった。こんなに長く走ったのは何年ぶりか。寓居に戻ってみると、ただただ爽汗で汗みずくの私が、玄関の暗闇に立っていた。禁煙したからであろうか、鼻呼吸のみで走りきることもできた。しかも更に胸を張れるようになり、肺自体の動きも、喫煙時より相当マシになっている。明日からは、プールの後先にランニングも加えて行けば、私は、確信は持てないが、大げさながら、新しい存在に生まれ変われるのではないだろうか。

 

その後、年若い友人のエンジニアと会う約束があったので外出した。私のMacの操作の仕方を、寓居近辺某、オープンエアの場所にて、彼に教わるためである。やはり若きエンジニア、私のあずかり知らぬ機械の沼の奥底に潜り込み、私の見も知らぬ画面の数々や、巧みなキーボード操作によって、少しずつ問題が解決してゆく。海外へ送りたかった映像も、圧縮ではなく、何やら本式の機械に繋げることで送信することが出来た。

 

この若いエンジニアは24歳で、高校時代から携帯電話を持つことが常態化したとのこと。また、彼より下の代は、小学校からIpadなどを操作する事が普通になっているという。驚くことでもないが、隔世の感は否めない。私は20代の頃、十円玉を大量に集めて、当時の彼女と親が電話に出なさそうな時間を示し合わせ、公衆電話のボックスに駆け込んだ思い出がある。感性、行動、ものの考え方が、このエンジニアを含め、私の世代と違っていて当たり前なのである。何れにせよ、その禁煙のオープンエアの場所にて、喫煙したいというストレスを感じること無く過ごせるようになったのも、禁煙のおかげである。E-Cigarettesも最近外出時に持ち歩かなくてもよくなってきた。E-cigの液体を取りかえたり、充電することが面倒になってきたのである。

 

その年若いエンジニア氏も一日休みだということで、渋谷ビックカメラにてヘッドフォンを選んでもらう事にする。古いものが壊れていたのでちょうどよかった。あの騒音の中、聴き比べるという作業が困難である為、専門家にご同行して頂いた。

 

以前はビックカメラに五分以上いると、音と蛍光灯の洪水にイライラし、喫煙欲求が頭をもたげる事が常態化していたが、禁煙し、運動を心がけていれば、そのような欲求も不思議と起きない。薬の作用もあろう。 

その後も、背筋を伸ばすことを意識し、鼻呼吸で息をしながら渋谷の街を若いエンジニアと少し歩いた。

 

エンジニア氏と別れたのち、夜少し根を詰める作業をしていたら、今迄に感じたこともないような、静けさと安寧が脳内にじわじわと広がるのを感じた。これは一体どうしたことか。以前、禁煙外来の医師が仰っていた、いわゆる休む脳に私の身体が自然に変化しているということなのだろうか。じっと自分自身を客観視するとこが得意な私でさえ、外から自分を見つめる事さえも出来なくなり、私は本当に久しぶりに小学生の頃の、母親が作る夕飯を待つ少年のような心持ちに陥っていた。イライラもない。未来に対する不安、焦燥感も無い。この様な穏やかさ、静謐さは、ついぞ追憶の彼方の彼方に沈み込んでいたものであったと直感すると共に、まだ私の、ニコチンにおかされた脳の中に残っていてくれたのかという感慨からくる静かな感動が、ふわりと私の身体を包んでいった。

 

昨晩に経験した体感事例はこういったもので、入眠時にも、医師に処方されたメラトニンのみで寝付くことができた。夜中に目を覚ましたが、夜中に目覚める焦燥感もなく過ごすことが出来た。

 

さて、これらの身体的変化の後の今朝の話に戻る。全てのものが何の意味もなく見えてくる事が、チャンピックスの副作用を含めて、昨晩の安寧な時間の次に体験するものなのかも知れない。とにかく今日一日やらねばならない事がある。やらねばならないそれらの事柄は、私の身の回りにある物々に、私の脳が命令を出し、コップにはお茶を注ぎ、Macはコンピューターだからメールチェックをするもので、という風にこれらの物に意味付けしていかなければならない。そうしないと、しなければいけない事柄をこなす事ができない。さて困ったと窓の外の緑を凝視し、まあ、焦る事はないか、という気持ちになった。全ての事柄を長い目で見よう。チャンピックスの服用時期は三ヶ月である。

 

ええと、Macはコンピューターで、コップはお茶を注ぐもので、カウチは腰掛けて座るところで、と。

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