南 博 HIROSHI MINAMIのブログ

森羅万象/禁煙日記

禁煙日記19

「シーモアさんと、大人のための人生入門」の試写会の招待状を、思いもよらない方から頂いたので、観に行くことにした。製作はイーサン・ホークス。ニューヨークに住む84歳のピアノ教師が主人公である。以前バーグマンの映画を観たときに予告編は見ていたので気にはなっていた。一般公開は十月一日だという。

 

 

その日の私は、やはり薬の副作用でなにも手に付かない日であったので、ある意味ありがたきはがき大の招待状であった。私は今まで全てのことに根を詰めすぎていたと思う。以前であれば、映画を見る暇があったら練習しようと思うことが多かったのだが、今の私は、様々な人の生き様、考え方、ミュージシャン以外の人々の暮らしぶりや発想なども知る必要性を感じていた。私の生の行程は音楽業界のみに限られてきた。自然行動範囲も偏り、人間関係も特殊となる。そういった状態に息が詰まっていた私には、この招待状がある意味救いであった。さらに今回の映画は、クラシックとはいえピアノの先生の話であるので、参考になること大であろう。

 

試写室は京橋にあり、久しぶりに東京の真ん中から東側に地下鉄から降り立った。私の祖母の家は新橋にあり、この辺りも、昭和の中頃、祖母と何度か訪れたことがある。確か祖母が友人の家を訪ねていったときに私もそれに付いていったのである。祖母の友人の玄関を通る時に見たまばらな那智石のたたきに、私はまだ小さな運動靴を脱いだのだ。その光景が未だに目に焼き付いている。短い廊下の奧にそれとない床の間をしつらえた狭い居間で、祖母はその友人と話し込んでいた。私はすることがなく、ただ祖母の横に正座をしていた。その居間には、最近見かけなくなったいわゆる卓袱台(ちゃぶだい)があり、その上には、最近は更に見かけなくなった青い竹の模様の入った青磁でできた丸い大きな灰皿が置いてあった。灰皿というより煙草盆と呼ばれていたような記憶がある。本当の煙草盆の意味は灰皿ではないのだが、その頃の昭和の人達は、どうしてか灰皿とはいわなかった記憶がある。祖母の友人の夫であったか、ゆっくりと紫煙をくゆらせて、その煙草盆にトントンと灰を落としながら、祖母との会話に加わったり加わらなかったりしていた。あの頃は皆煙草を吸っていたのだ。京橋辺りにもその当時はこのような民家が軒を並べていたような想い出がある。

 

しかし、試写室に向かう道すがら見る今の京橋は、私の知っている京橋とはまったく違う世界になっていた。銀座のような日本橋のような、大手町のような、つまり私にとっての京橋らしさがかなり失われてしまった場所に変貌していた。首都高がかろうじて見えるので方向は分かったが、それ無しでは多分方向オンチにもなっていただろう。東京の街々が全部同じに見えてくることほど悲しいことはない。

 

映画試写を見るのは久しぶりなことで、この京橋テアトルも初めての場所である。テアトル以外でも、とにかく外出して、地下鉄を降り目的地に着いたら一服が私の所作であったが、テアトルに到着し、映画の始まる間の時間、私の中に喫煙欲求は沸いてこなかった。不思議な感覚である。非喫煙者といわれる人々、私もその仲間入りをしている最中だが、こんなにも心情的に楽な状態であるとは、本当に思いもよらなかった。非喫煙者とは、映画を見る前に一服しなければならないというストレスを感じることなく今まで生きてきた人々であるという、当たり前のことが実感できる瞬間だった。

 

楽だ、本当に楽だ。煙草を吸わなくて良いという状態がこんなに楽だったとは。喫煙していた頃は自分を楽にするために、という思いから煙草を吸っていたのである。それが煙草無しで腹式呼吸をしていると自然に気分が落ち着いてくる。どうして早くこの状態に戻る手立てを考えなかったのか。自業自得であり、妻に感謝の念しか起きない。

 

さて映画の内容は、以前バーグマンの映画を観た際にもそうしたように詳しくは述べない。ただ、目からではなく、心から涙がこぼれるような映画だったことは明記しておきたい。秀逸な内容であった。アメリカ映画といえば、ピストルバンバン爆弾ドカーンカーチェース、血しぶき暴力どんでん返し、セックス特撮てんこ盛り、と相場が決まっていたが、この映画にはまだアメリカの、古き良きNYの良心を感じた。これ以上書くとネタバレとなる寸前までいってしまいそうなので、この辺にて映画自体のことを書くことを止めにするが、バーグマンの映画を観たとき以上に、喫煙欲求なく過ごすことができた。地下一階の試写室からエレヴェーターに乗り、外に出たあと、曇り空の京橋の街並みとその空を見上げる。ああ、いい映画だったな。映画を見終わったあと、煙草一本吸わずにいても、そう思える自分が新鮮であった。これからは、映画も落語も観劇も、飲食喫茶レストラン、仕事場さえも全てが私にとっての自由な空間となるのであろう。

 

副作用と同じ色の空を見上げながらそう思った。

 

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