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南 博 HIROSHI MINAMIのブログ

森羅万象/禁煙日記

禁煙日記17

 

禁煙日記17

確かに、禁煙し、毎日運動をしていると食欲が出てくる。医師の言っていたとおりだ。そして、禁煙して太ってしまったために、また煙草を吸ってしまった人の話を医師から聞いた。気をつけなければなるまい。いずれにせよ難儀な事である。ミュージシャンなんてやっていても喰えない、と何度言われたことか。おっしゃるとおり大金持ちではないが、禁煙をして体重管理をしなければならないとはこれ如何に。実際不安定な仕事であることには変わりはないが、同僚、先輩ミュージシャンを含めて、飢え死にしたバンドマンというものを、幸いまだ見たことがない。そこで居直って図々しく今まで生きてきた面もあるが、妻帯者となった今は、こういう考えを少し改めないといけなくなってしまった。今まで有り難いことに、どんな難局の時でさえ、不思議とどこかに食い物はあった。どんなに困り果てたときでも、なにか食べる物はあった。今は妻がだいたいの献立を用意してくれる。内容は、至って家庭的で、肉、魚料理をおかずにご飯と味噌汁である。有り難いことだ。喫煙時と食事の内容はあまり変わらないが、味覚が鋭くなったせいもあり、全てが新鮮で、しかも美味しい。畢竟夕飯が楽しみになる。運動もしているので自然に食欲が増す。凝ったところで凝った食事をすることはもう散々やらかしてきたので、今はこの生活で充分満足である。しかし、そこに体重管理まで気にしなければならなくなったとは、私もお大臣様になったものだ。

 

妻帯者になる前までは、嫌なことも沢山あったが、バチアタリな事に、スキなことをスキ放題に、やりたい放題にやって生きてきた。実際、バブルの時代はそれが許されていた時代だった。音楽に対しては真剣だったが、それ以外は羽目を外すときが多かった。ミュージシャンもサラリーマンもダライラマでさえ、いずれ死ぬこととなる。畢竟どう生きたか、どう死ぬかが私という一人の人間が持つ世界が消滅する意義であり、それは職を問わず私以外の誰でもが同じなのではないだろうか。有名無名も関係はない。この自らの殺生与奪権を、組織に管理されるのか、自らが管理するのかの違いが、私のような生業と組織に入って職業を持つ人の違いなのであろうが、最終的にくたばることには、なんら変わりはない。生まれたからには、この世にその人なりに参加して、友達が沢山いようが、孤独のままでいようが、人一人生きていれば、そこには「世界」が存在し、死はその消滅を意味する。人の一生は、ただそれだけのような気がする。

 

しかし私は妻帯者になってしまったので、これらの考え方も禁煙以外に考え直さなければいけない幾つかかの変更事項があることを自覚することを余儀なくされている。スキ放題には喫煙も含まれる。肺気腫になり、よいよいのまま七十、八十まで生きてしまい、妻に迷惑もかけられない。肺の病はガンよりも、肺気腫のような呼吸困難になる恐れの方が高い。酒煙草をやらずして、難病にかかる方も世の中にはおられる。考えを改めるべきだろう。

 

いろいろな哲学の本を読んできた。ニホン人では中島義道池田晶子がおもしろかった。フロイトから心療内科まで、うつ病で地獄巡りを一周した。精神分析も随分やったし、こちらがいやがっても分析された。心療内科に変な薬も飲まされた。そして何よりも、たくさんの本を読んできた。そして私の出した最終結論は、まあ、死ぬまで生きるだけでも大変なことだ。それだけだ。そして、仮に今までとしておくとしても、耶蘇の神もお釈迦様も、本当に私が困っているときに助けてはくれなかった。念仏唱えてメシが喰えれば、とっくの昔にそうしている。一転、私は唯物論者でもない。唯物論者が、音楽などやるわけがない。しかもこんな割に合わないことを長いこと続けるはずがない。ではあなたは何かと言われれば、私は私自身であるとしか答えられない。と同時に、誰とも同じく、長点も欠点もあり、意識と無意識があり、優しくて時に残酷、気が大きくてセコく、理知的でまぬけな、人間であるだけである。長点のみの人間なんているわけがない。以下も同じだ。更に言えば、基本的に、これは私の考えだが、人間には六種類半しかいないと思っている。金持ちと貧乏人、良い人と悪い人、頭の良い人と悪い人、後の半分は本物のキチ○×。人種も国籍も関係ない。何かに対しての絶大なる才能など、この範疇に嫌というほどはびこっている。そしてこの世の中が面白く、一筋縄ではいかないのは、これら六つの要素+1がない交ぜになって、ゴチャゴチャになっている人がうじゃうじゃ生息していることだろう。頭が良いが悪い人、頭が悪いが金持ち、貧乏でキチ○×なんて最悪だ。とにかく挙げていけばきりがない。そこに酒と煙草が混じり合うのだから、江戸川柳、小林一茶そのままだろう。「人の世は 地獄の上の 花見かな」

 

愛はどこへ行ったと問われそうだが、この六種類半は人間的恒常性という条件のしばりの上で述べているつもりだ。愛情深い、神経質、情にもろい、人に厳しい等々という心情は、人間であるからこそ、その時々、状況によって変わりやすい。永遠の愛があるならば、浮世は既にニルヴァーナ仏教でいう涅槃になっていないとおかしい。人間は複雑だ。人間に絶対的な恒常的「愛」があるならば、戦争以前に、既に軍備なんていうものも必要ないはずだ。南米がスペイン語話者の国となり、アフリカは食いつぶされた。アメリカの歴史など目も当てられない。どうしてこうなったのか、誰かに詳しく説明してもらいたいものだ。神経症フロイトがその病名を付けた所から病気となった。お天道様の下での、恒常的なものは無い。極端なことを言えば、地球はあと六十数億年で太陽に飲み込まれるそうだ。そのあとに神様のする事は何なのか誰か説明して欲しい。人間が全て滅ぶということは、意識の集合体もへったくれもないわけで、そのあと神様は、いるとすれば何をするのでしょう。これもこの方面に詳しい方にぜひ説明してもらいたいことの一つだ。いずれにせよその太陽膨張説の前に、既に全てが、人間の歴史自体が残酷そのものではないだろうか。そしてこの科学者の伝が本当ならば、永遠も存在しない。在るのは宇宙のみだ。永代供養の意味など無くなる。まあ、私が妄想するこれらのことがもし本当だとしてもウソだとしても、本当はある意味どちらでもいい。楽しくジャズを演奏して死んでゆきたい。

 

まあ、この世が単純にして複雑なのはこれが理由であろう。誤解を招くようなことを書いているが、アフリカのことを考えれば、貧乏人の意味が分かってもらえるだろうか。ニホンなど、ある意味マシな方である。芸術がどうした、音楽がこうだ、政治がああだと話をしている間に、飢え死にしている人が、アフリカ、その他の世界には沢山いる。この事実をどう解釈すればよいのか。

 

それでも私は困り果てたらホトケサマ〜と思わず漏らすのであろう。喫煙欲無し。油断すべからず。

 

プールに行く時間だ。

 

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