南 博 HIROSHI MINAMIのブログ

森羅万象/禁煙日記

禁煙日記11

禁煙日記11

禁煙をした日から何日と数えることを止めている。だいたいいつ頃かは分かっている。しかし止めた日の何時何分までは覚えていない。時をそう捉えないと、禁煙していることが難儀となる。とにかく吸わずに今日まで来た。今朝も、新しい感覚の自分に戸惑っている。感覚とは、五感、直感等を意味するが、こころなしか背筋も伸びた。五感穏やかであり、同時に鋭くなっている。安定感もある。しかし、禁煙した後、一番不安定な時期を台風ばかりが来るとは予想していなかった。言ってみれば、全て予想ができないことだらけである。日によって自己の身体の芯から身体全体の細胞までが、刻々と開放的になっているのが体感できる。しかし、精神、思い癖、身体に染みついた習慣は別物らしい。自己の身体が良い方向に向かっているにもかかわらず、思い癖というものは無意識に行動に表出する。その瞬間の中に喫煙という行いもあったのだ。その場を乗り切るには、冷たい水を一口飲むのみである。E-cigarettesを使う頻度も減ってきてはいる。当たり前のことだが、肉体はいずれにせよ若返りはしない。それを早めるか、何らかの努力によって遅くするかの違いのみである。一方、精神や心は、若返る方法はあるだろう。目に見えないものであるし、そう行動すれば良いわけだが、ある意味年相応でないと、身体が再度悲鳴を上げる。そのバランスを取るには、身体の声を聞くことだろう。喫煙しているときには、身体自体が声を出すとは思ってもみなかった。いろいろな瞑想の本に書いてある言葉だが、それもすこしずつ感じられるようになってきた。身体に耳を傾けると、何を言いたいのかが少しだけ聞こえてくる。だがまだはっきりと判別ができない。

しばらく演奏の仕事はなかったが、幸いにして普通に生活していれば、借金もローンもないので、三食メシは喰える。有り難いことである。まずはここで生まれ変わり、次の展望を望むとしよう。あのまま煙草を吸っていたら憤死に近い状態となっていただろう。私はいつも土壇場にならないと方向転換がきかない。頭の優れた方々は、先々のことを見通して、それを避け行動できるのだろうが、私にはそれができなかった。だが、そのおかげでいろいろな体験、経験もできたのも確かである。それらの時間の中で出会ってきた人々も、半分以上が奇天烈であったし、世の中にこんな事が起きるのか、という場面にも遭遇してきた。貴重な人間観察と体験の場を与えてくれたのも確かである。私は今落ち着いている。この落ち着きは、以前予想できない種類のものである。

しかし、今晩は演奏する日だ。演奏とは、もちろん落ち着きは必要だが、それのみでは面白くはならない。刺激的という言葉が正しいかどうか分からないが、SOMETHING ELSEが必要な事は確かだ。喫煙せずに楽器を弾くことにも慣れる必要がある。もう既に何度か演奏はこなしたが、E-Cigarettesでその場を凌いだ。それも手放そうと思う。なぜならば、外からの刺激なく、SOMETHING ELSEを表現できる様に成らないと、止めた意味がないからだ。重複するが、肉体と精神は私にとって、普段はそんなに間近なものではなかった。間近であると耐えられない事が多かったというのも一つの理由だろう。世の中には、直視したくないものが多い。しかし演奏中はそれが合体するのである。これが面白いから続けてこられたのではないか。ただ、日常生活でも、いい状態で精神と肉体の合体を目指せば、私は生まれ変われるだろう。そのいい状態というのは、演奏中と同じものであってはならない。それこそ身が持たない。それがどういう状態であるのか、これからじっくりと探りを入れて行くことにしよう。この二つが乖離していた何かの理由があるはずだ。

(続く)

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