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南 博 HIROSHI MINAMIのブログ

森羅万象/禁煙日記

禁煙日記10

禁煙日記10

私は岡本工業と仲がよかったのか、子供を作らなかった。子供のいる音楽家は沢山いる。しかし私は、子供を持つことは無理だと思った。ことわっておくが、これは私の考え方である。こんな仕事をしていて子供を持つことは罪であるという意識がまだある。幸せになる事、これが一つの生きていく上での大切な要素だが、全部は得られないのである。素晴らしく幸せな、子だくさんの家庭、経済的心配も無く、仕事も順調、人間関係も良好、病気もなにもしていない。将来も明るい展望のみが開けている。こんな人がいたらお目にかかりたいものだ。もし人類が全てこのような「幸福者」であれば、世の占い師、心療内科、その他の病院、赤提灯、飲み屋、バー、弁護士、哲学そのもの、精神分析、ギャンブル、娯楽施設、もしかしたらスポーツ、音楽さえ、我々人間には必要ないのではないだろうか。超絶北朝鮮のようなものである。だが、彼の国はそれを粧っているだけで、我々人間とて同じである。全部が揃わないからこその世の中であり、だからこそこれらの職業が成り立っている。幸せになること、私の場合は、いままでは音楽を続けることだけだった。それが五十を過ぎてひょんな事から妻帯者となり、妻が煙をいやがっている。三度目の正直を逃すわけにはいかないのだ。

子供を作れば、その子供の将来を最優先しなければならない。私は過去に、上に書いたような家族を、少なくとも見たことがない。親戚の誰かに、人のことは言えないが、必ず変な人がいたり、カネの無心に来たり、逆縁により親が悲しんだり、警官の息子が不良だったり、これらのできごとが浮世そのものであり、もしそうでなければ小説など誰も読みはしないし、作家も文章は書けないし、ネタが無い。

話しが逸れてしまった。禁煙後の私はどう生きていくかである。大袈裟に聞こえるかもしれないが、喫煙とは私にとって、生活の細々としたところに根を張った所作であった。その所作を外すのだから、新たなる何かを念頭に、身体に染みこませないと、副作用にも翻弄される。翻弄されるのは浮世だけで充分である。私は明るい人を尊敬している。性格にも拠るのだろうが、明るい人が前に書いたような条件を満たしている訳では決して無い。必ずどこかで、ご苦労様な事だ、と思わざるをえないなにがしかを抱えているのが人間だ。その上で陽気に振る舞っている人は、陽気であるというだけで大したものだと思う。私は重複するが、若い頃に、普通の人が見聞きしないことを見聞きし、体験しているところがあり、どうも心の底から明るくは成れない。どこかでこの世をはすに見てしまう。しかし、以前苦しんだうつ状態も、行き詰まった時にムチャ飲みした酒も、逆にそれらを手放してしまえば、私なりに明朗な気分で居られることが感じられるようになった。喫煙の影響は、私にとって普通の人のもの以上だったのだろう。何の苦も無く止められる人も居るのであるから。

だが、身についてしまった体験から来る思い癖は容易に変えることはできない。ピアノを弾くという行為と共に、小岩のキャバレーや、銀座のナイトクラブ、ボストン時代、東京に帰ってきてからのすったもんだ、全部を含めて、音楽を通して見聞きしてきたことは、畢竟人間は不思議な生き物だということである。悪魔だと思っていた人が天使となり、この人はいい人だと思っていた人が悪魔となる。

私も人間だから、この条件に当てはまっている。なるべく良い人で在りたいが、私は坊主ではないし、坊主と言えば、父親が言っていた言葉も忘れられない。「祇園さんで毎晩あそんどるんは、ぼんさんやで」もちろん、南直哉氏のような立派なお坊さんも多々いらっしゃる。要するに、玉石混交だ。そう、私はその中の「石」でもいい。終生音楽が続けられ、妻が幸せであれば後は何も望むまい。これも望みすぎと言われれば元も子もないが。望みすぎるからストレスとなる。

さて、プールに行く時間だ。

 

南 博 website 

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