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南 博 HIROSHI MINAMIのブログ

森羅万象/禁煙日記

禁煙日記9

禁煙日記

今朝いつも通り、朝七時前に目が覚めてしまう。チャンピックスを服用する前からのことだが、いずれにせよ、三十代、四十代の頃の私が今の自分を見たら、「ウソだろう、あり得ない」という程の早起きである。更に、チャンピックスには不眠の副作用がある。だが、副作用のみならず、酒を止めたのもその理由であろう。いずれにせよ煙草を止めるに至って、又、更に何かを仕切り直さなければならない。何を仕切り直すのか、朝の頭が冴えている内に考えておくべき大切な事柄である。私はいったいどうなりたいのか。本当は何をしたいのか。

妻は日曜であるためにまだ寝ている。一人部屋で片付けでもすればよいものを、私は何となくカウチに腰掛けて、医師に言われたように少しずつ水を飲んでいる。プールが開くのは九時である。まず泳いでから一日が始まるという生活様式に変えよう。薬の副作用で集中力が落ちる、というよりも、急坂を落ちたり上ったりしているような感覚なので、一見落ち着いているようで、落ち着きが無いのだが、作曲などにも向かっていきたい。しかしやはり夜よりも朝が不安定である。

私はどうも、小学生の頃からある種の刺激、また言動や情動に過敏に反応してしまうよう生まれついてしまったようである。それが音楽に良い影響を及ぼす時もあり、逆に、決定的に世間に対して不器用にしか振る舞えないことも多々あった。そのある種の刺激、人様の言動、情動から身を守るため、ある種の別の刺激物、たとえば煙とか、が必要だった点は否めない。では、私は逞しく無いのだろうか。私の知り合いに、指揮者であり作曲家である尊敬する人物が一人居るが、彼は逞しい。男の中の男、逞しくしかも教養豊か、細かいことはいい意味で気にしないが繊細。生き様が豪快でスマート。そう、彼よりは逞しくは無いだろう。だが、逞しく無い奴が、小岩のキャバレーで、バンマスと花札やって、オジョウズを言いながら生き延びる事ができるであろうか。銀座のナイトクラブの非常階段は修羅場であった。カタギで無い男が本気で怒るとどうなるか、身をもって体験してきた。その怒りが私に向けられそうになったときもあった。ボストンの黒人街でピザを食べていたら、その店に黒人強盗が入ったことがある。ああ、終わったと思った。その強盗、拳銃でカウンター越しに、渡したのは百ドル札であり、釣りは九十九ドルだからよこせと叫んでいる。しかしアメリカは凄いところで、店員がカウンターの下からショットガンを出し、あんたの払ったカネは一ドル札だよ、とぼそっとつぶやいた。そのショットガンは私の方にも向けられていた。私の口からピザがぽろりとこぼれ落ちたのは言うまでもない。その強盗、拳銃とショットガンの威力をおもんばかる理性だけは有ったようで、「Year man, sorry man,I payed one bucks man, yo’re right,haha,thanks man」と言いながらその店を後にした。そう、黒人街のジャズクラブでオルガンを弾いている休憩時間に起きた出来事だ。その後も演奏をしたのだった。これらの事を思い出せば、ある意味どこか逞しく無ければ、私は今ここには居ないのではないか。

(続く)

 

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