南 博 HIROSHI MINAMIのブログ

森羅万象/禁煙日記

禁煙日記6

 

禁煙日記

意に反し、対面した禁煙外来の担当医はものすごく感じの良い男性医師で、しかも有能な、患者の心根を受け止めようとする気迫さえ感じる方で、私は本能的にここの医院を選んだ自分の直感を素直に喜ぶことができた。医師の目を見ればわかる。この方も同じ苦しみを味わったことがある。そう直感していたら、思ったとおり、その医師も以前は喫煙者であり、何度か禁煙にも失敗している体験談まで話しをしてくれた。私はその医師の目をジッと見つめたまま話を聞いた。どうしたら禁煙できるか、金言が医師の口からこぼれ出てくる。医師も話をしながら、一度も私から目をそらさない。日本人の対応ではない。アメリカ人のようだ。この医師は相手の目を見て話をすることを厭わない。

このような医師は私の知る限り稀である。ただものではない。こちらの質問にも、人間として丁寧に答えてくれる。上から目線でもない。かといって馬鹿丁寧でもない、ひじょうに合理的で、しかも暖かい対応である。私はこの医師と知り合えて幸せだと感じた。この方なら、私は我が身を預けよう。そう思えた。

いろいろな患者の、いろいろな止め方、止められない理由を何例かあげ、あなたの場合はこうなるでしょうと予測までしてくれる。その予想が初対面であるにもかかわらず、私の性格と行動様式を的確に捉えたものなので、思わずうなってしまった。医師にもっと自分のことを知ってもらいたいという欲求が抑えられず、私のことは口で説明するよりも、私のサイトを見ながら話をした方が早い旨伝えると、さっとIPadを取り出し、私のサイトのプロフィールを丹念に読んで下さった。「音楽をやってらっしゃる方なんですね。分かりました」この医師の一言で、医師が私の想像をはるかに超えた地点までの治療法を考えてくれていることが分かった。

音楽の世界がある面享楽的であり、私がそこにどっぷりとつかっていた旨説明すると、喫煙以外の代替え案は、他のことに頭を切り換えることだ、と仰った。「大変なことだと思います。代替え案は私が見つけますよ」それからそのことについても懇切丁寧な説明を受けた。

36年も喫煙していたのだから、肺年齢は実年齢よりも高く、医師から様々な喫煙による病気の話しを聞いた。普通の病院には、血圧計はあるが、肺活量、息に含まれる一酸化炭素を計る機械はない。よって肺の問題は見逃されがちであり、高血圧よりも、肺に問題がある人が多いとのこと。この医師が言うことは的確だ。

急激な喫煙欲求は炭酸水を飲むこと、果物を食べることも教わった。この医師は優しい。人間に対して徹底的に優しい.見事な出で立ち、振る舞いの医師だ。こんな方がいらっしゃるのだ。禁煙すると体重が増えたのでまた吸ったという人も多いとのこと。禁煙に成功する人のパターンとして、何か健康に良いことをプラスアルファーで行動すること。禁煙に成功している人は、禁煙に何度も挑戦している人であること。

一酸化炭素は今現在、私の肺から抜けていると言われた瞬間、逆に言えば今まで一酸化炭素にまみれていたということになる。長い年月、私を支えていたその煙は、数多の、本当に数多くの想い出と、出会いと別れの折々、遠い記憶の中に埋もれた涙と笑い、そして出会ってきたステキな女性達、それらと共に気化していった。

禁煙の行動療法、これは備忘録。この医師でさえ、酒を飲みに行き、友人にもらい煙草をし、もらった煙草を積み上げて止めるという逆刺激療法を取ったとのこと。

兎に角煙草を止めたことを多くの人に拡散することも禁煙に繋がるという。私の禁煙日記も伊達ではなかったのだ。兎に角私はいつもどこかで誰かに助けられる。ぎりぎりのところで何かが、もしくは誰かが私を救ってきた。今から考えれば、音高から付属の音大に行けずヤケを起こしていたとき、私を救ったのは大師匠のピアニスト、S氏と、何も知らない私に、本物の舶来のピアノを聴かせてくれた宅考二先生。小岩のキャバレーでくすぶっていたときに優しくしてくれたフィリピン人のホステスさん、これ以上銀座でバンドマンをしていては、博打に巻き込まれ身を滅ぼすという間際まで来たときに、私を救ってくれたのは、その博打の元締めであった。ボストンの黒人街の暗闇で、黒人にナイフを向けられたとき、仲の良かった白人のアメリカ人に教わった様に、ゆっくりとポケットから、はだかの十ドル札と、バラの一ドル札五枚をはらりと歩道に落とし、ナイフ野郎の視線が歩道にそれた瞬間、反対方向にダッシュで逃げたとき、金が無く行き詰まったときに助けてくれた恩人、ヤケ酒の飲み過ぎでぶったおれる寸前に私を救った女神のような女性。思い出せば切りが無い、もう後が無い一歩手前でいつもどこからか救いの手が現れ出る。今日はその何番目かの救い主にお目にかかれたのだ。

禁煙を侮ってはどうも成功しないようだ。煙草を吸わないという行為を継続することは、医師の説明によるあらゆる例に於いて生半可では無いようだ。しかし、兎に角吸わなければいいのだ。

いやあ、だいたい今まで全てが生半可では無かった。生そのものが。人間は常時、生きてるって素晴らしい、とだけ思いながら生きていける生き物ではない。もっと複雑で、無意識なんてものもある。人間が本当は変な生き物である証は、簡単だ。新聞の見出しを毎日見るだけで充分だ。

禁煙日記、続けます。

 

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