南 博 HIROSHI MINAMIのブログ

森羅万象/禁煙日記

禁煙日記3

 

禁煙日記

テレビを見なくなってから4年ほど経つ。まったく見ない。妻が時々、天気予報、ニュースを見ている程度で、私はその音声をそばで聞いているだけで画面も見ない。テレビを見るのを止めた後の開放感は素晴らしい。視界が開けるようである。同時に、世の動向には少し疎くなる。ブラジルでオリンピックが開かれているようだが我関せずである。国際舞台に出るまで己が肉体を鍛え、世界一になる事は凄いことだと思う。だがやはり私には関係がない。メダルがいくつ取れようが、私の生活は変わらない。皆ご苦労様なことだと思う。地球の裏側まで行って飛んだり跳ねたりしているのである。大変な労力だ。だがやはり私には関係ない。

本能的にこれらのスポーツという素晴らしい行いを、スポンサーやらテレビ局の人間やらが、そのスポーツ自体の神聖さを穢しているように思えてならない。淡々と放映すれば良いものを、まわりが騒ぎすぎる。なんだ、見ているではないかと言われそうだが、渋谷の街頭テレビでちらりと見ただけである。演奏時や、好きな音楽を聴いているとき以外は、静かな環境に居る方が精神的にとても落ち着く。そしてこの精神的落ち着きが、今の私にとって、禁煙をする大切な一つの条件である。そういう時に、テレビの音はただうるさいだけだ。こういう事を書くと、外国かぶれ、と呼ばれそうだが、アメリカ、ヨーロッパのアナウンサーの声は、確実に日本人のアナウンサーより声質が一段低い。畢竟落ち着いてニュースを聞くことができる。あとはCM等の音楽だが、全部シャリシャリした音で、ベース音、低音部が聞こえてこない。これも海外のテレビの音声と違う点で、テレビを見ていると落ち着かないのである。
このような天気の日は、自己を見つめるのに良い機会だ。目をつぶり、じっと台風の雨風の音を聞く。今日は外に出る用事がないので、じっとこの雨風の音を聴いている以外に方策はなさそうだ。ピアノを弾いているとき、じっと雨風を聴いているとき、深呼吸を心がける。今までこの呼吸の中に煙が混じっていたことになる。今でもその煙を吸い込みたい要求がゼロではないが、ある意味恐ろしい行いを繰り返してきたとも感じるようになった。
窓から外を見れば、朝なのに薄暗く、庭の木々の緑が、点描画のように見えてくる。そして何かを私に語りかけてくるような気がしている。植物はそこにただ佇むのみである。何も言わないし、もちろん移動もしない。唯々植わっている場所にじっとしているのみだ。葉は二酸化炭素を吸収し、酸素を排出しているようだ。静かであるが、大変な営みであることが分かる。あの木々の葉を太陽に透かしてみたことを思い出せば良い。細かい血管のようなものを見ることができる。動いていないようで、実は木々の中で何かが盛んに活動しているのだ。そして今日は強い雨風に、屋根もないところに佇んで、文句一つ言うでもない。雨というものも、良く考えれば不思議な液体で、なぜ雨粒として空から降るのだろうか。バケツの水をひっくりかえしたような雷雨は時々あるが、それでも海の波のようではない。いずれにせよ、人間はこの自然には決して逆らえないのだなあとつくづく思う。人間はあまり自然に逆らわぬ方が良い。今まで逆らいすぎたからもう遅いかもしれないが、自然のフトコロの大きさを信じることとしよう。
チャンピックスを服用すると、まんじりともせずに動けなくなることが多々あり、これは喫煙欲を抑えている一つの効能であると信じて、じっとしていることにしているが、そこにこの台風という天気が重なると、自然に思考は内側に向かっていってしまう。悪いことではない。時々人間にはこういう時間が必要なのだと言い聞かせるしかない。
「孤独などと言って脂下がっている奴ら」というセンテンスが金子光晴の詩の中にある。好きな言葉だ。私は脂下がりたくはない。一人かもしれないが脂下がっているわけではない。
否、脂下がってはいけないのだ。一人で居ようが、大勢の中で会話をしていようが、私が私であることに変わりはあるまい。今日はただその内の,一人で居る日の一日に過ぎない。
チャンピックスを食後に服用。毎回色々な作用を私の気分に及ぼすので、今日はどのような状態にこれから成るのであろうか。薬の作用には逆らえないので、どういう状態であれ受け入れるしかない。六時半に起床し、今は八時四十二分。
時間には情け容赦がない。この透徹とした、何があっても先にしか進まない時間という事象は、太古の昔から、多分いろいろな捉え方がされてきたのだろう。時間が刻々と過ぎてゆくことで、私も刻々と喫煙という行いから少しずつ離れていくことができるのも事実である。この時間というものの情け容赦の無さを、逆手にとるしかない。時よ過ぎよ。私は少しずつ、煙草を吸わない人、である時間が長くなっていくのである。
昨夜寝たのが2時頃であったので、少し睡眠不足である。そういえばチャンピックスの副作用に不眠と書いてあった。元々不眠症の私に、不眠を覆い被せるとはこれいかに。酷なことをしますなあ、旦那様。誰が旦那様か分からねど、ふっとそのような溜息が漏れる。元々、喫煙を含め、今の自分が、ここにこうして、世の中の片隅に在ること自体、自分の責任なのだから、自分で責任をとるしかしょうがない。最初の煙草の一本も、何も無理強いされて、他人に押さえつけられて吸わされたものではない。自ら選んで吸い始めたのである。「まあまあ、この歳まで煙草吸わなかったのに、後が大変よ」私が煙草を吸っているのを始めて見たときの母親の言葉である。仰るとおりの結果となった。「なんや、シャレタもんすうてるやないか。ヒロシなあ、煙草吸うと頭ぼけるでえ」私が煙草を吸っているのを始めて見たときに父親が言った言葉である。仰るとおりの結果となった。
低気圧とチャンピックスの作用で、身体が重い。今日という一日、時間には情け容赦がない。しかしじっくりとそれを味わうことはできよう。人生という言葉より「LIFE」という言葉の方が好きである。人が生きるという意味より、より広い範疇を含んでいるような気がするからである。
こういう時こそ、リリー・ブーランジェを聴く必要がある。私を救ってくれる音楽であるからだ。それでは。

 

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