南 博 HIROSHI MINAMIのブログ

森羅万象/禁煙日記

禁煙日記14

禁煙日記13

タバコをやめて良かったと思うこと、それは外出する際に火の用心を気にしなくて良いことだ。喫煙していた頃は、出がけに灰皿を台所の流しに持って行き、中に少量の水を蛇口から垂らすのが習慣になっていた。これも一つの所作であり、無駄な日常の動作が一つ無くなったことになる。禁煙をすると、このように、喫煙という所作を忘れる必要と、無駄な所作を省くことが日常の中に交錯してくるのである。また、煙草を買いに行かなくなったので、コンヴィニエンスストアーに行く回数が減り、煙草のついでに買っていた余計なものを買わなくなったので、無駄づかいが減った。一時期、コンヴィニエンスに行くのも怖かった時期がある。私は煙草の常客で、コンヴィニエンスのドアを半分開けた時点で、馴染みの店員が、私の好みの煙草に手を伸ばしつつ、「いらっしゃいませえい」と声をかけてくることが常態化していたのである。おいそれとコンヴィニエンスに近寄れなくなった理由はお分かり頂けると思う。

 

かといって、いちいち店員に、私は禁煙しています。とわざわざ進言するのもおかしな話で、生活必需品は、煙草の置いていない場所で買おうと思ったら、結構スーパーマーケットなどにも売っており、今迄スーパーで煙草を買わなかったので知らなかっただけで、この世の中には、どこもかしこも煙草というものが根を生やしていることがわかった。あとは自分から近付かないようにするしかない。こんなに恐ろしく思っているものを、無意識に身体が欲しているというのも、自業自得ではあるが、何とも言えない複雑な心境だ。

 

禁煙しながら、前と同じ状態で走り続けるのは、まったく新しい経験である。薬の副作用があるにもかかわらず五感が更に冴えわたり、直感も更に鋭くなっている。考えること、感じることも全て新しい。と同時に、それを受容する身体が時々その情報の多さに戸惑うときがある。そして戸惑ったときには文章を書く。頭の中が整理され、何を感じているのかがはっきりする。

 

吉田兼好さえ田畑を持っていたからこそ隠遁できたそうであるから、私の場合は、自分との相談の上少しずつ焦らずに前に進むしかない。

 

プールの時間だ。

 

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禁煙日記13

禁煙日記13

この日記を書き始めて、何人かの方から、応援の声を頂いている。また、私の文章を読んで禁煙に踏み切った方が二人いらっしゃる。書き続ける必要がありそうだと勝手に判断して、書き続けます。酒煙草をやらずして、重篤な病におかされる方も世の中にいらっしゃることを重々承知の上で書きます。とにかく、書いている間、ピアノを弾いている間は喫煙のことを忘れられる。

 

だが、今日の私は動けない。昨日長く泳ぎすぎたのか、副作用なのか、睡眠不足で朝から眠く、プールにも行けず、頭の中がぐるぐるする。過去に起きた様々な出来事、思い出が、何の脈絡もなく意識に去来し、そしてそれがすーっと消えると、また別の思い出や過去の出来事が、意識の中にランダムに浮かび上がってくる。その思い出や出来事の、嬉しかったこと、悲しかったことに関係なく浮かび上がってくること自体が、不思議と一番タチの悪いところで、なぜならば、悲しんでよいのか、喜んでよいのか、どういう感情でその「ぐるぐる」を受け止めれば自己を保てるのかが分からないのである。笑いながら泣く人は見たことはあるが、そういう顔の表情にでるような感情でもない。これでは練習に支障をきたすのだが、今は禁煙することの方が専決事項なので、じっと自分を客観視する。直感、五感とも更に冴え渡ってきているのだから、ここで禁煙を止めるわけにはいかない。

 

実際に、過日ブタ肉を食べたが、ブタ肉は豚の死肉であることのよく分かる芳香を放っていることを再認識した。なぜ死肉と芳香いう対語を選んだのかというと、死肉と分かりつつ、とても「旨かった」からだ。人間は酷な存在だ。だが旨いものは旨い。それほど私の味覚は敏感になってきている。視覚もそうである。読書が更に新鮮身を帯びてきた。文字から浮かび上がる情感、その人が書いた時の気持ちまで読み取れるようになってきた。臭覚も動物並みにするどくなっている。電車に乗っていると、隣の人の昼食が何だったか大体分かりそうなくらい、体臭に対して過敏となった。そして大切な聴覚、今は更に、オーケストラの内声まで細部に耳をそばだてることができる。畢竟私が自ら弾くピアノの音、ハンマーが弦を鳴らす瞬間までもが、細部まで、更に聞きわけられるようになってきた。

 

直感も冴えてきた。渋谷の街に出ると、全く違う世界に居るように感じられる。喫煙していたときにはイライラとした人ごみも、客観視できるようになった。と同時にこの人ごみ全ての人々が、私を含めて、我々人間の原初の所作、つまり「まぐわい」にて生まれ出てきたのかと思うと、この浮世も不思議な場所であるとつくづく思う。日本人は少なくとも一億二千七百万回の「まぐわい」をしたことになる。ものすごいことだ。これら全ての人々が真の意味で愛の結晶であれと祈りたくなる。

  

だが浮世はそれだけでは済まされない、人間の三大欲を満足させようとチカチカする電子画像、ネオンや看板、元はといえば、全て地球の資源で人間が材料を作りこしらえたもので、これを文化文明というのなら、なんという無駄使いだろう。しかし私もその無駄な文化の中の、微細な部分にかろうじて属している存在である。文化は余剰から生まれる。このように、禁煙により全ての事象の捉え方が変化をしてきており、その変化についていけない自分自身がいる。自分が自分を追いかけているとはこれいかに。

 

身をもてあましていたら、再度妻が救いの手をさしのべてくれた。渋谷文化村にて「イングリッド・バーグマン、愛に生きた女優」を観に行くという。家にいてもなにもはかどりそうもないので、再度妻に同行することにした。

 

イングリッド・バーグマン、私が高校生の時、始めて観た彼女の映画以来、魂の部分から惚れ込んでいる永久のアイドルである。あの品位は誰も及ばない。出演作もほぼ全て観ている。映画上映に合わせ、写真展も開催されていた。どの写真も息を呑むほど美しい。写真の下に説明書きがあり、スウエーデンの幼少期、二歳で母親をなくし、十三歳で父親を亡くし、彼女を引き取った叔母もなくなっている事を始めて知る。美貌の影に孤独があったのだ。あの女優としてのスジの通し方もこの生い立ちと関係があるはずだ。彼女をアメリカに呼んだセルズニックという演出家兼プロデゥーサーは、商業的成功のため、名を改め、少し顔を整形することを考えていたことも知る。恐ろしきなりアメリカ芸能界。バーグマンの美貌にさえ、手を入れるつもりだったとは。

 

カサブランカ撮影時、ハンフリー・ボガードは、バーグマンより五センチ背が低く、有名な最期の別れのシーンで、ボギーは木箱に乗った状態で撮影されたことも知った。まぬけな話である。あのボギーがバーグマンの前で木箱の上に立っていたとは。私は一時、ボギーの煙草の吸い方を真似ていたのだ。カサブランカを何回も観過ぎて自然と真似るようになった。似ないと知るのに時間はかからなかったが、あの男の象徴であるボギーを、体格でかしずかせたバーグマン。これも実力のうちだ。あとは誰もがご存知の、ロッセリーニの一件でハリウッドから干されるのだが、上院議会でもバーグマンの私生活が非難されたのもこの写真展で始めて知った。ただの芸能スキャンダルではない。そしてロッセリーニとの生活も終わりを迎える。その後バーグマンは堂々とアメリカに帰り、フラッシュを再度浴びるのだ。何という人生だろう。ジャーナリストが空港で、何か後悔している事があるかと尋ねた時の、彼女の答えがふるっている。「いいえ、やらなかったことのほうが後悔するわ」心底ステキな女性だ。とにかく彼女は役者としての成長を求め続けた。やらなかったことのほうが後悔するのだ。見習うことが多い。

 

映画の内容は書くまい。ネタバレになるからだが、三十年代から七十年代にかけての映画のシーンで、煙草を吸う男女がやたらと出てくる。イタリア時代のバーグマンの廻りの男達も、ロッセリーニを含め、煙草をたしなむ者が多かった。しかも、彼女が恋に落ちたロバート・キャパも、くわえ煙草か、もしくは手に煙草を持っているシーンが多い。なんということだ。時代がそうだったということは私にもよく分かる。子供の頃、父親の同僚が当時住んでいた狭い団地に5〜6人で来たときに、部屋の中がモクモクになった覚えがある。皆吸っていたのだ。煙草は大人である象徴であった。労働の慰めでもあった。畢竟戦地で世界をのけぞらせる写真を撮るなどという芸当以上のことをしていたキャパが、なんらかの慰めを求めないはずがない。バーグマンとはいつでも会える仲でもなかった。遠い戦地から、あのバーグマンを思いながらの一服は、どんな味がしたのだろうか。せつなかったに違いない。こういう心情が共感できるところは、初手からの非喫煙者には感じることのできないものであろう。喫煙していたから分かること、禁煙したから分かること、両方知っていて文化的ではないかと、自分自身に思いこませないと、損なことばかりに目が行ってどうしようもなくなる。実際に、身体的に損なことばかりであることは医師に教えられたが、少なくとも文化を理解するという意味で、喫煙は損なことばかりではなかったと思うしかない。キャパの心情に喫煙者であったという体験から共感できるからだ。そうでも思わないとやっていられない。

 

薬の作用は副作用だけではないらしく、それらの喫煙シーンを観ていても吸いたくならなかった。また、長時間「喫煙」から遠ざかる、映画鑑賞、という行い自体が、我が身にとって非常に楽になったことも特記すべきことだろう。私は少なくとも一秒一秒、喫煙から遠ざかっている。キャパの心情をおもんばかりながら。私が煙草に手を出した理由は前の日記に記したとおりだ。だがキャパとは動機と行動のケタが違いすぎる。キャパは多分、くわえ煙草のまま地雷を踏んだのだろう。男の中の男である。私も男の端くれでいたいが、キャパの「うつわ」にはかなわない。地雷を踏むにもまだ早いと思いたい。こう考えれば、喫煙とはとりあえず卒業せざるをえない。キャパよ、さようなら。

 

ネタバレの一部かもしれないが、映画の中の男達が、ほとんど全て喫煙者であった。ハリウッドもイタリアもスエーデンも喫煙者だらけで、ただ一人、煙草をくわえたシーンが一つもないのがバーグマンその人だった。「ガス燈」でシャルル・ボワイエ相手に煙草を吸っていたシーンがあった覚えがあるが、たとえそれが事実だとしても、演技の上であって、喫煙者には見えない。バーグマンは禁煙中の私にさえ永久のアイドルでいてくれる。

 

しかしボギーよ、男はつらいなあ。

 

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禁煙日記12

禁煙日記11

何も手が付かない。これも副作用であろうか。気分の上がり下がりが激しい。喫煙欲は以前より減ったものの、やはり禁煙は所作であったとつくづく思う。ピアノを弾いて少し疲れたときにする事がない。今は氷水を飲んでいるが、紫煙をくゆらせていた頃の自分がまったく別人に思えてきた。いったいどれくらいの無駄な時間を過ごしてしまったのだろうか。だがここまで来ても、なんともいえない物足りなさが身体の奧に渦巻いている。

どうにもならない気分でいたら、妻が洋裁の先生に横浜で会うという。このまま一人家に居ても何もはかどりそうになかったので、妻に同行することにした。

横浜駅で降りるのは久しぶりである。横浜で仕事といっても、馬車道や、みなとみらいの方が多い。洋裁の先生は年配の可愛げのあるおばさまである。妻に紹介され挨拶を交わす。ああ、私は本当に交友関係という意味において、一般人との接触は無いのだなと、このおばさまにお会いしてつくづくとそう思った。ミュージシャン、クラブオーナー、ライブハウスの方々、ジャズ好きな面白い人、他の友人も美術関係、プー太郎、それ以外に私には身近な者はいない。 

本当に普通の人なのである。妻とは何十年来の知り合いとかで、旦那である私がどういう人物であるか、興味津々の様子を隠そうともしない。この方は、コルトレーンもビル・エヴァンスも、電化した後のマイルスはジャズではない云々など、かけらも聞いたことも考えたこともないだろう。私は無理に作り笑いを浮かべ、無理に世間話に相槌をうっていたりしたが、以前の私なら、ここで一服するのが自分自身をリラックスさせる「所作」であった。今はそれをするわけにはいかない。薬の副作用で、三人で入ったデパートの喫茶店でも、灯りが目にちかちかして困る。しかも以前は、こういう所に着座すること、即一本だったのだが、今の私にはそれが許されていない。しかも妙な笑顔を絶やすわけにもいかず、私の頭は段々混乱を来し、その初対面の洋裁の先生に向かって、気が付いたらべらべらと喋りはじめていた。

「どうもはじめまして。旦那です。こんな人が、と思われたでしょうが、こんな人なんです」

「あ〜ら、面白い方ね。こんな面白い旦那さんと暮らせて、あなたも幸せそうで良かったじゃない」妻は微妙な薄笑いを浮かべながら、片目で私を、もう一方の目で先生の方を見ていて無言だ。喫煙欲求を忘れるため、私は喋り続けた。

「先生のご出身はどちらですか?ああ、鹿児島でいらっしゃる。そこで妻と会われたんですね。えっ、小さな頃から知っている?それは私より妻とは長いということですね。先生も隅に置けない方だ。私より妻のことを知っているなんて」

「あ〜ら、また面白いことをおっしゃる旦那様、本当に退屈しないご家庭をお持ちのようねえ。良かったじゃないの。こんな面白い方と一緒になる事ができて」

「家は面白いですよ。何しろ私が旦那ですからね。何をしでかすか分かりはしないような人間ですから。鹿児島にもツアーでいったことがあります。あそこら辺は、熊本も含めて、妻の前ですがね、よっ、先生のような美人が多い。あっちで街を歩いていると、きれいな女の人ばかりで、目移りがしちゃって、首がぐるぐるして、最後は首が痛くなっちゃったんですよ」

「あ〜ら、おほほほほ」

「それでですね、天文館という繁華街を演奏の後、深夜歩いていたら、急に蝶ネクタイの若者に羽交い締めにされまして、九大の学生シャン!と呼ばれつつピンサロに無理矢理つれて行かれましてね」

「あ〜ら、おほほほほ、それでどうなさったんですか」

「こちらはカネなんか無いぞ、といっているのにもかかわらず、酒はじゃんじゃん出てくるは、女の子はじゃんじゃん出てくるはで、しょうがないから、遊び倒しましてね。先生、だってしょうがないんですよ。入り口に怖いお兄さんが立ってるンですよ」

「ま〜あ。お〜ほほほ。それでどうなさったの」

「まあ、帰ることになりましてね、財布から千円札出して、これしかカネは無いっていってそのお兄さんにたたきつけたんですよ。モンクがあるなら警察呼べってね。いやあ、向こうも違法なことしてるから、桜田門は呼びたくないという計算がこちらにもありましてね。まあ酔ってましたしね、どうにでもなれと」

「まあ、お〜ほほほほ。それからどうなさったの」

「ええ、一悶着ありましたがね。無いものは無いで無理矢理外に出て、走って逃げました」 

「ま〜あ、お〜ほほほほ、逞しいご亭主をみつけられて良かったじゃないのあなた、ねえ」

「ヒロシさん、少し声が大きいわよ」

「あ、すいません。私は煙草もすいません。酒も飲みません。でも九州の方は酒が強いですからねえ。ビールは酒じゃなか、とかいわれまして、朝から飲まされたり、昼から焼酎でまいりました。向こうは男気のある男性ばかりで、いい土地だ」

「お〜ほほほ、ほんとに面白い旦那様だこと。あなた、よかったじゃないの、こんな面白い方と暮らせるなんて。それよりお食事は?なにかお食べになるかしら」

「いやあ、お食事なんて久しぶりだ、普段食べているのはメシですからね。これがメニューか。高いなー、オムライスが1500円以上する。ははははは。これは高すぎる。一番安いものは何だろう。あ、私はお子様ランチでいいです。これが一番安い」

「ヒロシさん、高いと何度も言ったらここに連れてきた先生が困るでしょ」

「いや、私はね、本当にお子様ランチが好きなんですよ。この旗がね。昔を思い出させる」

「お〜ほほほ。面白い旦那様ねえ。本当にあなたは幸せ者だわ」

帰りの電車の中で、妻がうつらうつらし始めたので、心の中で謝りました。

禁煙日記続けます。

 

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禁煙日記11

禁煙日記11

禁煙をした日から何日と数えることを止めている。だいたいいつ頃かは分かっている。しかし止めた日の何時何分までは覚えていない。時をそう捉えないと、禁煙していることが難儀となる。とにかく吸わずに今日まで来た。今朝も、新しい感覚の自分に戸惑っている。感覚とは、五感、直感等を意味するが、こころなしか背筋も伸びた。五感穏やかであり、同時に鋭くなっている。安定感もある。しかし、禁煙した後、一番不安定な時期を台風ばかりが来るとは予想していなかった。言ってみれば、全て予想ができないことだらけである。日によって自己の身体の芯から身体全体の細胞までが、刻々と開放的になっているのが体感できる。しかし、精神、思い癖、身体に染みついた習慣は別物らしい。自己の身体が良い方向に向かっているにもかかわらず、思い癖というものは無意識に行動に表出する。その瞬間の中に喫煙という行いもあったのだ。その場を乗り切るには、冷たい水を一口飲むのみである。E-cigarettesを使う頻度も減ってきてはいる。当たり前のことだが、肉体はいずれにせよ若返りはしない。それを早めるか、何らかの努力によって遅くするかの違いのみである。一方、精神や心は、若返る方法はあるだろう。目に見えないものであるし、そう行動すれば良いわけだが、ある意味年相応でないと、身体が再度悲鳴を上げる。そのバランスを取るには、身体の声を聞くことだろう。喫煙しているときには、身体自体が声を出すとは思ってもみなかった。いろいろな瞑想の本に書いてある言葉だが、それもすこしずつ感じられるようになってきた。身体に耳を傾けると、何を言いたいのかが少しだけ聞こえてくる。だがまだはっきりと判別ができない。

しばらく演奏の仕事はなかったが、幸いにして普通に生活していれば、借金もローンもないので、三食メシは喰える。有り難いことである。まずはここで生まれ変わり、次の展望を望むとしよう。あのまま煙草を吸っていたら憤死に近い状態となっていただろう。私はいつも土壇場にならないと方向転換がきかない。頭の優れた方々は、先々のことを見通して、それを避け行動できるのだろうが、私にはそれができなかった。だが、そのおかげでいろいろな体験、経験もできたのも確かである。それらの時間の中で出会ってきた人々も、半分以上が奇天烈であったし、世の中にこんな事が起きるのか、という場面にも遭遇してきた。貴重な人間観察と体験の場を与えてくれたのも確かである。私は今落ち着いている。この落ち着きは、以前予想できない種類のものである。

しかし、今晩は演奏する日だ。演奏とは、もちろん落ち着きは必要だが、それのみでは面白くはならない。刺激的という言葉が正しいかどうか分からないが、SOMETHING ELSEが必要な事は確かだ。喫煙せずに楽器を弾くことにも慣れる必要がある。もう既に何度か演奏はこなしたが、E-Cigarettesでその場を凌いだ。それも手放そうと思う。なぜならば、外からの刺激なく、SOMETHING ELSEを表現できる様に成らないと、止めた意味がないからだ。重複するが、肉体と精神は私にとって、普段はそんなに間近なものではなかった。間近であると耐えられない事が多かったというのも一つの理由だろう。世の中には、直視したくないものが多い。しかし演奏中はそれが合体するのである。これが面白いから続けてこられたのではないか。ただ、日常生活でも、いい状態で精神と肉体の合体を目指せば、私は生まれ変われるだろう。そのいい状態というのは、演奏中と同じものであってはならない。それこそ身が持たない。それがどういう状態であるのか、これからじっくりと探りを入れて行くことにしよう。この二つが乖離していた何かの理由があるはずだ。

(続く)

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禁煙日記10

禁煙日記10

私は岡本工業と仲がよかったのか、子供を作らなかった。子供のいる音楽家は沢山いる。しかし私は、子供を持つことは無理だと思った。ことわっておくが、これは私の考え方である。こんな仕事をしていて子供を持つことは罪であるという意識がまだある。幸せになる事、これが一つの生きていく上での大切な要素だが、全部は得られないのである。素晴らしく幸せな、子だくさんの家庭、経済的心配も無く、仕事も順調、人間関係も良好、病気もなにもしていない。将来も明るい展望のみが開けている。こんな人がいたらお目にかかりたいものだ。もし人類が全てこのような「幸福者」であれば、世の占い師、心療内科、その他の病院、赤提灯、飲み屋、バー、弁護士、哲学そのもの、精神分析、ギャンブル、娯楽施設、もしかしたらスポーツ、音楽さえ、我々人間には必要ないのではないだろうか。超絶北朝鮮のようなものである。だが、彼の国はそれを粧っているだけで、我々人間とて同じである。全部が揃わないからこその世の中であり、だからこそこれらの職業が成り立っている。幸せになること、私の場合は、いままでは音楽を続けることだけだった。それが五十を過ぎてひょんな事から妻帯者となり、妻が煙をいやがっている。三度目の正直を逃すわけにはいかないのだ。

子供を作れば、その子供の将来を最優先しなければならない。私は過去に、上に書いたような家族を、少なくとも見たことがない。親戚の誰かに、人のことは言えないが、必ず変な人がいたり、カネの無心に来たり、逆縁により親が悲しんだり、警官の息子が不良だったり、これらのできごとが浮世そのものであり、もしそうでなければ小説など誰も読みはしないし、作家も文章は書けないし、ネタが無い。

話しが逸れてしまった。禁煙後の私はどう生きていくかである。大袈裟に聞こえるかもしれないが、喫煙とは私にとって、生活の細々としたところに根を張った所作であった。その所作を外すのだから、新たなる何かを念頭に、身体に染みこませないと、副作用にも翻弄される。翻弄されるのは浮世だけで充分である。私は明るい人を尊敬している。性格にも拠るのだろうが、明るい人が前に書いたような条件を満たしている訳では決して無い。必ずどこかで、ご苦労様な事だ、と思わざるをえないなにがしかを抱えているのが人間だ。その上で陽気に振る舞っている人は、陽気であるというだけで大したものだと思う。私は重複するが、若い頃に、普通の人が見聞きしないことを見聞きし、体験しているところがあり、どうも心の底から明るくは成れない。どこかでこの世をはすに見てしまう。しかし、以前苦しんだうつ状態も、行き詰まった時にムチャ飲みした酒も、逆にそれらを手放してしまえば、私なりに明朗な気分で居られることが感じられるようになった。喫煙の影響は、私にとって普通の人のもの以上だったのだろう。何の苦も無く止められる人も居るのであるから。

だが、身についてしまった体験から来る思い癖は容易に変えることはできない。ピアノを弾くという行為と共に、小岩のキャバレーや、銀座のナイトクラブ、ボストン時代、東京に帰ってきてからのすったもんだ、全部を含めて、音楽を通して見聞きしてきたことは、畢竟人間は不思議な生き物だということである。悪魔だと思っていた人が天使となり、この人はいい人だと思っていた人が悪魔となる。

私も人間だから、この条件に当てはまっている。なるべく良い人で在りたいが、私は坊主ではないし、坊主と言えば、父親が言っていた言葉も忘れられない。「祇園さんで毎晩あそんどるんは、ぼんさんやで」もちろん、南直哉氏のような立派なお坊さんも多々いらっしゃる。要するに、玉石混交だ。そう、私はその中の「石」でもいい。終生音楽が続けられ、妻が幸せであれば後は何も望むまい。これも望みすぎと言われれば元も子もないが。望みすぎるからストレスとなる。

さて、プールに行く時間だ。

 

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禁煙日記9

禁煙日記

今朝いつも通り、朝七時前に目が覚めてしまう。チャンピックスを服用する前からのことだが、いずれにせよ、三十代、四十代の頃の私が今の自分を見たら、「ウソだろう、あり得ない」という程の早起きである。更に、チャンピックスには不眠の副作用がある。だが、副作用のみならず、酒を止めたのもその理由であろう。いずれにせよ煙草を止めるに至って、又、更に何かを仕切り直さなければならない。何を仕切り直すのか、朝の頭が冴えている内に考えておくべき大切な事柄である。私はいったいどうなりたいのか。本当は何をしたいのか。

妻は日曜であるためにまだ寝ている。一人部屋で片付けでもすればよいものを、私は何となくカウチに腰掛けて、医師に言われたように少しずつ水を飲んでいる。プールが開くのは九時である。まず泳いでから一日が始まるという生活様式に変えよう。薬の副作用で集中力が落ちる、というよりも、急坂を落ちたり上ったりしているような感覚なので、一見落ち着いているようで、落ち着きが無いのだが、作曲などにも向かっていきたい。しかしやはり夜よりも朝が不安定である。

私はどうも、小学生の頃からある種の刺激、また言動や情動に過敏に反応してしまうよう生まれついてしまったようである。それが音楽に良い影響を及ぼす時もあり、逆に、決定的に世間に対して不器用にしか振る舞えないことも多々あった。そのある種の刺激、人様の言動、情動から身を守るため、ある種の別の刺激物、たとえば煙とか、が必要だった点は否めない。では、私は逞しく無いのだろうか。私の知り合いに、指揮者であり作曲家である尊敬する人物が一人居るが、彼は逞しい。男の中の男、逞しくしかも教養豊か、細かいことはいい意味で気にしないが繊細。生き様が豪快でスマート。そう、彼よりは逞しくは無いだろう。だが、逞しく無い奴が、小岩のキャバレーで、バンマスと花札やって、オジョウズを言いながら生き延びる事ができるであろうか。銀座のナイトクラブの非常階段は修羅場であった。カタギで無い男が本気で怒るとどうなるか、身をもって体験してきた。その怒りが私に向けられそうになったときもあった。ボストンの黒人街でピザを食べていたら、その店に黒人強盗が入ったことがある。ああ、終わったと思った。その強盗、拳銃でカウンター越しに、渡したのは百ドル札であり、釣りは九十九ドルだからよこせと叫んでいる。しかしアメリカは凄いところで、店員がカウンターの下からショットガンを出し、あんたの払ったカネは一ドル札だよ、とぼそっとつぶやいた。そのショットガンは私の方にも向けられていた。私の口からピザがぽろりとこぼれ落ちたのは言うまでもない。その強盗、拳銃とショットガンの威力をおもんばかる理性だけは有ったようで、「Year man, sorry man,I payed one bucks man, yo’re right,haha,thanks man」と言いながらその店を後にした。そう、黒人街のジャズクラブでオルガンを弾いている休憩時間に起きた出来事だ。その後も演奏をしたのだった。これらの事を思い出せば、ある意味どこか逞しく無ければ、私は今ここには居ないのではないか。

(続く)

 

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禁煙日記8

禁煙日記

プールには4レーンあり、端の2レーンでは、朝も早くからガシガシクロールで泳いでいる方がいる。見習うべき人々である。私の泳ぐレーンには、お年寄りが水中歩行をしたり、子供が親と戯れていたりするところで、まず、最初はここで平泳ぎを一時間弱、のち、父親に習った海軍式遠泳法で少し泳ぐ。以前このFBにも書いたが、父親は戦時中、乗っていた軍艦が沈められ、太平洋を奄美大島まで、この海軍式遠泳法で、一昼夜泳いで助かったという経験を持つ。海軍式遠泳法の特徴は、疲れたら泳ぐのを止め、水に浮いた状態を保てることにある。速く泳ぐための泳法では無く、助かるための泳法だ。しかし、父親は、二十代だったとは言え、こんな甘っちょろいプールなんていう監視員もいるような場所では無く、絶海の太平洋を、しかも塩水の中を一昼夜泳いだのである。ありえない。プールの中でさえ、浮いているだけでも鼻に水が入り、むせたりするのだから、海の中ではどう成ってしまうのだろうか。相当な特殊訓練を受けさせられたと考えるしかない。

一時間強泳いだので、一日目はこのくらいにしておこうかとプールを出る。身が軽いと感じたと同時に、ふと母親のことを思った。母親もいい歳で、腰痛持ちであり、整形外科に行ったら、この骨盤でよく子供が二人産めましたね、と医師に驚嘆されたと言っていた。母親は、育ち盛りが戦争中であったための栄養失調が原因だと話していた。そこから生まれた私が、そんなに頑健な訳が無いのである。今までの色々な事々を思い返してみると、そこが不思議なところだが生きているのである。よくもまあ生き残ってきたものだ、と外に出ようとしたら「ぴ〜!ピ~!お客さん!そっちは女子更衣室ですよ!ナニやってんですか!」

監視員に謝り、男子更衣室へ。私は今までに、どういう状態であろうと、こういう種類の間違いだけは犯さなかった。やはりチャンピックスの副作用なのであろうか。どこかがどうもおかしい。しかし禁煙したからこそ、私今はプールにいるのであり、五感冴え渡り、直感も鋭くなっているのは確かである。チャンピックスと折り合いを付けてゆくしかあるまい。例えこの薬がケミカルだとしても、喫煙よりはマシだろう。そう思うしか無い。

コインロッカーのある更衣室とは妙な空間である。皆一様に裸で、友人同士で来ている者など、すっぱだかで談笑している。腕にまいた鍵をロッカーに差し、着替える。シャワーも浴びたから、水道代も浮いたわいなどとセコな事を考えつつ、真面目なことも考える。さあ、これからどうしようか。やらなければならない雑用、仕事のこと、音楽のこと。管弦楽法を更にこれから学ぶのは、金銭的にも時間的にも無理だろうか。リリー・ブーランジェ、ラヴェルなどのスコアを沢山仕入れて、もっともっと分析がしたい。そしてジャズ以外のアプローチを学びたい。実際家ではジャズなど殆ど聴かない。しかしそれには金と時間が必要だ。そして、歳なりに優雅になりたいと切に思った。二十代、三十代と突っ走ってきた。突っ走ってないと何事も追いつけなかった。本を書きながら毎日のように演奏する日々が一番きつかった。締め切り前までには文字を埋めなければいけない。演奏は即興なので、今日は調子が悪かったということで、やむなく音数を少なめにして、演奏を終えることができる。またその方がよい演奏だったりするので音楽は不思議だ。いずれにせよ、ピアニストは大概自分を含めて弾きすぎる。だが、文章はそうはいかなかった。字数というものがある。いろいろとあったが、歳をとるということは優雅になる事であるはずだ。エレガンス、それを学ばなければ。自分自身で学ばないと、逆にやることが空回りしてしまうだろう。

やはりピアノを弾くしかなさそうだ。さてと、朝飯だ。

 

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