南 博 HIROSHI MINAMIのブログ

森羅万象/禁煙日記

禁煙日記7

禁煙日記

医師に、禁煙以外にも身体に良いことをするのが、より禁煙を達成する早道だと言われたので、プールに行くことにした。普段は、朝の散歩が、かろうじて私の運動であったが、この季節、ドアを開けた瞬間、「あっ、今日は朝から暑すぎる」という天気が続いていたので、散歩さえ疎かにしていた。しかし、プールであれば汗をかかない。直射日光も浴びない。ただ入場料がかかる。寓居から幸いにして五分の所に市民プールがあり、一回二時間400円である。早速11回4000円のプリペアードカードを買う。強制的に買えば毎日行かざるをえまい。だいたい例の煙に一日460円を浪費していたのである。

私は朝七時前には目覚めてしまう。早朝練習という手もあるが、チャンピックスのせいか瞳孔がひらいたまま、何も思考できない。メロディーも、練習のアイデアも早朝は無理そうだ。だが頭に浮かんでくるこれらの言葉をこのように書き記すことはできる。かといってこのまま文字をずっと書いているだけでは、晩年の萩原朔太郎のようになってしまう。あの人は天才詩人だが私はそうではない。また、朝起きて濃いコーヒー三杯に一服より、泳いだ方がよかろう。市民プールは九時からだ。

驚いたことに、私がプールに一番乗りだった。「誰もいないプール」、なにやら芥川賞候補作品のタイトルみたいだと思っていたら、後ろから何人か早速泳ぎに入ってきた。朝九時から泳ぐという行為自体、私の身体にとって無謀なことだが、ええい、ままよと、準備体操もせず水に飛び込み、ムチャクチャに泳ぎはじめた。休憩せず30分、ムチャクチャに身体を動かした。心臓麻痺でくたばるならばここで死ねば良い。

水の中は異界だ。ゴボゴボという水の音と、自らが吐く息が水泡として視覚的に捉えられる。なんたる空気の、量の多さだ。肺とは凄い量の空気を吸い込めることが視覚で分かる。この中に煙が混ざっていたわけである。なんということだ。原体験という意味もあるかもしれない。母親の母体にいたときと状態は似ている筈だ。ここちよい。

(続く)

 

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禁煙日記6

 

禁煙日記

意に反し、対面した禁煙外来の担当医はものすごく感じの良い男性医師で、しかも有能な、患者の心根を受け止めようとする気迫さえ感じる方で、私は本能的にここの医院を選んだ自分の直感を素直に喜ぶことができた。医師の目を見ればわかる。この方も同じ苦しみを味わったことがある。そう直感していたら、思ったとおり、その医師も以前は喫煙者であり、何度か禁煙にも失敗している体験談まで話しをしてくれた。私はその医師の目をジッと見つめたまま話を聞いた。どうしたら禁煙できるか、金言が医師の口からこぼれ出てくる。医師も話をしながら、一度も私から目をそらさない。日本人の対応ではない。アメリカ人のようだ。この医師は相手の目を見て話をすることを厭わない。

このような医師は私の知る限り稀である。ただものではない。こちらの質問にも、人間として丁寧に答えてくれる。上から目線でもない。かといって馬鹿丁寧でもない、ひじょうに合理的で、しかも暖かい対応である。私はこの医師と知り合えて幸せだと感じた。この方なら、私は我が身を預けよう。そう思えた。

いろいろな患者の、いろいろな止め方、止められない理由を何例かあげ、あなたの場合はこうなるでしょうと予測までしてくれる。その予想が初対面であるにもかかわらず、私の性格と行動様式を的確に捉えたものなので、思わずうなってしまった。医師にもっと自分のことを知ってもらいたいという欲求が抑えられず、私のことは口で説明するよりも、私のサイトを見ながら話をした方が早い旨伝えると、さっとIPadを取り出し、私のサイトのプロフィールを丹念に読んで下さった。「音楽をやってらっしゃる方なんですね。分かりました」この医師の一言で、医師が私の想像をはるかに超えた地点までの治療法を考えてくれていることが分かった。

音楽の世界がある面享楽的であり、私がそこにどっぷりとつかっていた旨説明すると、喫煙以外の代替え案は、他のことに頭を切り換えることだ、と仰った。「大変なことだと思います。代替え案は私が見つけますよ」それからそのことについても懇切丁寧な説明を受けた。

36年も喫煙していたのだから、肺年齢は実年齢よりも高く、医師から様々な喫煙による病気の話しを聞いた。普通の病院には、血圧計はあるが、肺活量、息に含まれる一酸化炭素を計る機械はない。よって肺の問題は見逃されがちであり、高血圧よりも、肺に問題がある人が多いとのこと。この医師が言うことは的確だ。

急激な喫煙欲求は炭酸水を飲むこと、果物を食べることも教わった。この医師は優しい。人間に対して徹底的に優しい.見事な出で立ち、振る舞いの医師だ。こんな方がいらっしゃるのだ。禁煙すると体重が増えたのでまた吸ったという人も多いとのこと。禁煙に成功する人のパターンとして、何か健康に良いことをプラスアルファーで行動すること。禁煙に成功している人は、禁煙に何度も挑戦している人であること。

一酸化炭素は今現在、私の肺から抜けていると言われた瞬間、逆に言えば今まで一酸化炭素にまみれていたということになる。長い年月、私を支えていたその煙は、数多の、本当に数多くの想い出と、出会いと別れの折々、遠い記憶の中に埋もれた涙と笑い、そして出会ってきたステキな女性達、それらと共に気化していった。

禁煙の行動療法、これは備忘録。この医師でさえ、酒を飲みに行き、友人にもらい煙草をし、もらった煙草を積み上げて止めるという逆刺激療法を取ったとのこと。

兎に角煙草を止めたことを多くの人に拡散することも禁煙に繋がるという。私の禁煙日記も伊達ではなかったのだ。兎に角私はいつもどこかで誰かに助けられる。ぎりぎりのところで何かが、もしくは誰かが私を救ってきた。今から考えれば、音高から付属の音大に行けずヤケを起こしていたとき、私を救ったのは大師匠のピアニスト、S氏と、何も知らない私に、本物の舶来のピアノを聴かせてくれた宅考二先生。小岩のキャバレーでくすぶっていたときに優しくしてくれたフィリピン人のホステスさん、これ以上銀座でバンドマンをしていては、博打に巻き込まれ身を滅ぼすという間際まで来たときに、私を救ってくれたのは、その博打の元締めであった。ボストンの黒人街の暗闇で、黒人にナイフを向けられたとき、仲の良かった白人のアメリカ人に教わった様に、ゆっくりとポケットから、はだかの十ドル札と、バラの一ドル札五枚をはらりと歩道に落とし、ナイフ野郎の視線が歩道にそれた瞬間、反対方向にダッシュで逃げたとき、金が無く行き詰まったときに助けてくれた恩人、ヤケ酒の飲み過ぎでぶったおれる寸前に私を救った女神のような女性。思い出せば切りが無い、もう後が無い一歩手前でいつもどこからか救いの手が現れ出る。今日はその何番目かの救い主にお目にかかれたのだ。

禁煙を侮ってはどうも成功しないようだ。煙草を吸わないという行為を継続することは、医師の説明によるあらゆる例に於いて生半可では無いようだ。しかし、兎に角吸わなければいいのだ。

いやあ、だいたい今まで全てが生半可では無かった。生そのものが。人間は常時、生きてるって素晴らしい、とだけ思いながら生きていける生き物ではない。もっと複雑で、無意識なんてものもある。人間が本当は変な生き物である証は、簡単だ。新聞の見出しを毎日見るだけで充分だ。

禁煙日記、続けます。

 

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禁煙日記5

禁煙日記

何たることだ。私はマサイ族を超えた。今禁煙外来にて肺活量の検査である。まさかドライアー狀のものをくわえさせられ、鼻輪を付けるとは思いもよらなかった。これは下手をしたら、どこかのSMクラブの変態プレイ中の写真と言っても、誰も疑問を持つまい。このような物を口に咥えたジャズピアニスト。何たることだ。

担当の女医さんのお名前をお聞きしたがもう失念している。チャンピックスのせいか、私が私自身に戸惑っている故の混乱のせいか。禁煙外来は大繁殖である。私も「禁煙外来」に迷い込んだ、飛んで火に入る夏の虫である。はい、いらっしゃいませー、ナニナニ、煙草が止められない、それはお辛いでしょう。一緒に頑張りましょう。でも最後は貴方の意志ですから、と言われるに決まっている。今待合室で、診察待ちである。ではまた。

 

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禁煙日記4

 

禁煙日記

パスワードをすぐに忘れます。必ず手帳にメモを残すようにしているのですが、なんやかんや活動をしている内に、パスワードの数がどんどんと増えて、そのメモしたパスワード自体が、どこの何を指すのかが分からなくなってしまうのです。今使っているこのMac Book Air なる代物の中にもいくつかのパスワードが潜んでいるのですが、自らそれを探し出す手立てさえ、すぐに忘れてしまいます。機械音痴ここに極まれり。

こういう機械類はいじくっている内に何とかなるもののようですが、機械用語がこの機械の理解を邪魔するのです。ユーティリティ−、ラン、インストールなどの用語を元々の単語の意味で考えてしまうので、融通が利きません。私はアメリカ留学前に、英語が得意ではなかったので、辞書の単語を片っ端から丸暗記して彼の国に旅立ったのです。文法もあまりよく分かっていなかったので、ターザン英語で乗り切ろうという想いがありました。また、当時の辞書にはコンピューター用語など有る筈もなく、私の脳内では、未だに、ユーティリティーとは、公共事業、公益のことを意味し、公共事業がなぜ機械の中に入っているのかがどこか理解できないのです。インストールという単語もしかりで、これは家具などを「設置」する、業務などに「就任」するという意味で、なぜ機械の中に何物かを「設置」することができるのかがどうしてもピンときません。そして、この機械の中に誰が、どういう成り行きで「就任」できるのかが皆目見当がつかず、私の頭はいつも混乱してしまうのです。そういう時に、いつもお世話になるのが、また用語が出てきませんが、マックサポート何とかに電話をし、助けを求めることです。そのサポートの方々の、なんと忍耐強いことよ。私のようなド機械オンチの言うことを、懇切丁寧な言葉で常に対応し、上だ下だ青いボタンだ矢印だ、などと言っている私のような者に対してさえ、決して横柄な態度をとりません。サポートなんとかの方々をご尊敬申し上げております。

「ミナミ様〜、ミナミ様〜、ではまずお電話番号から、万が一お話の途中切れてしまってはいけませんので」から始まり、「画面共有をお勧めします。ああ、繋がった。良かったです。云々、、、」から問題提起となるのですが、私の見たこともないこの機械の裏の裏まで探り当て、ここのボタンをクリック云々と、懇切丁寧に教えて頂ける。またそれが二時間にも及ぶ問題の時もあるのですが、そういう場合でさえ、サポートなんとかの方々は画面の裏にある何か細々としたマークの中の、また更にその中の細々とした恐ろしい数の情報、数列、訳の分からないアルファベット記号、等々を撚り合わせて、的確に問題を探り当て、しかも態度がぶれません。

最初に彼等に伝えなければならないのはシリアルナンバーというもので、ここでも私はひっかかる。何にひっかかるのか。こんなことを書くこと自体僭越かもしれませんが、シリアルナンバーという発音は、私にとって、Cereal,シリアル、つまりコーンフレークだとか、彼の国の、言っては悪いが舌の終わった人々の朝食のことを意味するのです。正しくはセエィリアル・ナンバー(Serial number)なのではないだろうか。シリアルナンバー?コーンフレークの番号ってなんだろう、と分かっていながらいつも別の反応をしてしまうのです。そしていつもの儀式として、件の「シリアルナンバー」を、相手に分かりやすいように、キャンディーのC,ジャイアンツのG,などと単語のアルファベットで伝えています。ですが、こんなことを書くこと自体僭越なのですが、いつだったか、アルファベットの説明の折、ホーランドのH(Holland)と言ったら、「お客様〜、そのホーランドというのはどこの国の事ですか」と逆に問いかけられ、少しびっくりました。こんなに頭のいい人達が、Hollandをオランダと言わなければ分からないんだ、、、、。

所詮、ドーはドーナツーのドー、レーはレモンのレー、と子供の頃に歌わせる国だなと思いました。そして知らず知らずのうちに、カタカナ英語が身についてしまう我が民族の悲劇です。私もその被害者だった。兎に角、レはイタリア語で、綴りはReである。英語のレモンはRではない。Lemonである。だから、レーはレモンのレ−、ではない。歌詞がおかしい。間違っている。であるから、あの歌は即刻子供達に歌わせないようにした方が良い。語学学習の妨げになる。子供に良い影響は少なくとも与えない。

私は、この機械で、ワードで文章を書くこと、メールを送ることしかできず、シフトボタンがどうのこうのとなると、無意識、意識を問わず、その埒外です。何かとんでもないことが起きそうで、追々とそれらのボタンに手を触れることができません。また最近知ったのですが、また名称を忘れましたが、どうもI phone6を持っていれば、ルーターでしたか、あれを使わずしてWIFIに繋げられるということを最近になって知りました。テザリング、と称するようで、目に見えない鎖につながれることになるのですが、ではなぜ何とかモバイルだの何だの、昔のスパイ映画に出てくるような長方形の変な小型機械を販売するのか。必要ないではありませんか。月々払っていた何とか料金を返せと言いたい。そしてあの複雑な料金支払い体系もどうにかしろと言いたい。もうこうなってくると情報戦であることがはっきりと分かってきます。皆でワイワイ、ワイファイワイファイと騒ぐものですから、何のことだろうと思い、調べてみましたら、「Wireless Fidelity」の略であることが分かり、私の中では、これを訳せば、「線無き貞節」となります。戦前B級白黒映画のシュール版と言われてもおかしくない語感です。無線に貞節を守ると解釈しても更にシュールです。そもそも初手から、無線をどのような心情で愛することができるのか?

とにかくこのままでは旧世代の置いてけぼりのド機械音痴のままになります。ついていけません。

今日は禁煙外来の日です。

 

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禁煙日記3

 

禁煙日記

テレビを見なくなってから4年ほど経つ。まったく見ない。妻が時々、天気予報、ニュースを見ている程度で、私はその音声をそばで聞いているだけで画面も見ない。テレビを見るのを止めた後の開放感は素晴らしい。視界が開けるようである。同時に、世の動向には少し疎くなる。ブラジルでオリンピックが開かれているようだが我関せずである。国際舞台に出るまで己が肉体を鍛え、世界一になる事は凄いことだと思う。だがやはり私には関係がない。メダルがいくつ取れようが、私の生活は変わらない。皆ご苦労様なことだと思う。地球の裏側まで行って飛んだり跳ねたりしているのである。大変な労力だ。だがやはり私には関係ない。

本能的にこれらのスポーツという素晴らしい行いを、スポンサーやらテレビ局の人間やらが、そのスポーツ自体の神聖さを穢しているように思えてならない。淡々と放映すれば良いものを、まわりが騒ぎすぎる。なんだ、見ているではないかと言われそうだが、渋谷の街頭テレビでちらりと見ただけである。演奏時や、好きな音楽を聴いているとき以外は、静かな環境に居る方が精神的にとても落ち着く。そしてこの精神的落ち着きが、今の私にとって、禁煙をする大切な一つの条件である。そういう時に、テレビの音はただうるさいだけだ。こういう事を書くと、外国かぶれ、と呼ばれそうだが、アメリカ、ヨーロッパのアナウンサーの声は、確実に日本人のアナウンサーより声質が一段低い。畢竟落ち着いてニュースを聞くことができる。あとはCM等の音楽だが、全部シャリシャリした音で、ベース音、低音部が聞こえてこない。これも海外のテレビの音声と違う点で、テレビを見ていると落ち着かないのである。
このような天気の日は、自己を見つめるのに良い機会だ。目をつぶり、じっと台風の雨風の音を聞く。今日は外に出る用事がないので、じっとこの雨風の音を聴いている以外に方策はなさそうだ。ピアノを弾いているとき、じっと雨風を聴いているとき、深呼吸を心がける。今までこの呼吸の中に煙が混じっていたことになる。今でもその煙を吸い込みたい要求がゼロではないが、ある意味恐ろしい行いを繰り返してきたとも感じるようになった。
窓から外を見れば、朝なのに薄暗く、庭の木々の緑が、点描画のように見えてくる。そして何かを私に語りかけてくるような気がしている。植物はそこにただ佇むのみである。何も言わないし、もちろん移動もしない。唯々植わっている場所にじっとしているのみだ。葉は二酸化炭素を吸収し、酸素を排出しているようだ。静かであるが、大変な営みであることが分かる。あの木々の葉を太陽に透かしてみたことを思い出せば良い。細かい血管のようなものを見ることができる。動いていないようで、実は木々の中で何かが盛んに活動しているのだ。そして今日は強い雨風に、屋根もないところに佇んで、文句一つ言うでもない。雨というものも、良く考えれば不思議な液体で、なぜ雨粒として空から降るのだろうか。バケツの水をひっくりかえしたような雷雨は時々あるが、それでも海の波のようではない。いずれにせよ、人間はこの自然には決して逆らえないのだなあとつくづく思う。人間はあまり自然に逆らわぬ方が良い。今まで逆らいすぎたからもう遅いかもしれないが、自然のフトコロの大きさを信じることとしよう。
チャンピックスを服用すると、まんじりともせずに動けなくなることが多々あり、これは喫煙欲を抑えている一つの効能であると信じて、じっとしていることにしているが、そこにこの台風という天気が重なると、自然に思考は内側に向かっていってしまう。悪いことではない。時々人間にはこういう時間が必要なのだと言い聞かせるしかない。
「孤独などと言って脂下がっている奴ら」というセンテンスが金子光晴の詩の中にある。好きな言葉だ。私は脂下がりたくはない。一人かもしれないが脂下がっているわけではない。
否、脂下がってはいけないのだ。一人で居ようが、大勢の中で会話をしていようが、私が私であることに変わりはあるまい。今日はただその内の,一人で居る日の一日に過ぎない。
チャンピックスを食後に服用。毎回色々な作用を私の気分に及ぼすので、今日はどのような状態にこれから成るのであろうか。薬の作用には逆らえないので、どういう状態であれ受け入れるしかない。六時半に起床し、今は八時四十二分。
時間には情け容赦がない。この透徹とした、何があっても先にしか進まない時間という事象は、太古の昔から、多分いろいろな捉え方がされてきたのだろう。時間が刻々と過ぎてゆくことで、私も刻々と喫煙という行いから少しずつ離れていくことができるのも事実である。この時間というものの情け容赦の無さを、逆手にとるしかない。時よ過ぎよ。私は少しずつ、煙草を吸わない人、である時間が長くなっていくのである。
昨夜寝たのが2時頃であったので、少し睡眠不足である。そういえばチャンピックスの副作用に不眠と書いてあった。元々不眠症の私に、不眠を覆い被せるとはこれいかに。酷なことをしますなあ、旦那様。誰が旦那様か分からねど、ふっとそのような溜息が漏れる。元々、喫煙を含め、今の自分が、ここにこうして、世の中の片隅に在ること自体、自分の責任なのだから、自分で責任をとるしかしょうがない。最初の煙草の一本も、何も無理強いされて、他人に押さえつけられて吸わされたものではない。自ら選んで吸い始めたのである。「まあまあ、この歳まで煙草吸わなかったのに、後が大変よ」私が煙草を吸っているのを始めて見たときの母親の言葉である。仰るとおりの結果となった。「なんや、シャレタもんすうてるやないか。ヒロシなあ、煙草吸うと頭ぼけるでえ」私が煙草を吸っているのを始めて見たときに父親が言った言葉である。仰るとおりの結果となった。
低気圧とチャンピックスの作用で、身体が重い。今日という一日、時間には情け容赦がない。しかしじっくりとそれを味わうことはできよう。人生という言葉より「LIFE」という言葉の方が好きである。人が生きるという意味より、より広い範疇を含んでいるような気がするからである。
こういう時こそ、リリー・ブーランジェを聴く必要がある。私を救ってくれる音楽であるからだ。それでは。

 

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禁煙日記2

禁煙日記

朝コーヒーを飲んだ後、もの凄い吐き気に襲われる。こんなことは初めてだ。そしてカフェインが身体に効きすぎる。目覚ましの一杯も止めにするしかない。雑用はこなせる。仕事のブッキングもチャンピックスの浮遊感の中、何とかこなしている。ブッキングとは即ち、未来に対する丁半賭博である。そしてその私の「未来」は、長方形に区切られた手帳の日付の中に凝縮されており、手帳の日付は、さながらタイムマシーンのようだ。これらの仕事の間に、大地震、天変地異、貨幣価値の崩壊、何が起きるやもしれぬ。起きても起きなくてもこれらの日々は、私が生きている限りやってくるのであろうが、なんとも妙な気分である。このように時間軸を捉えるようになったのも、禁煙してからで、何が起きるか分からない未来に対して、やれアーティスト写真だ、仮押さえだと、皆でお互いの未来を青田買いしているような感がある。誠に奇妙としか言いようがない。と同時に、私と共に時間を共有してくれる人々に、感謝の念が絶えない。

実はある人の紹介で、カメルーンの首都、ヤウンデにて行われる、ヤウンデ国際ジャズフェスティバルに、我がバンド「TRIAD X」にて11月に出演する筈であったのだ。最初のビジネスレターには、空港に到着した後の移動費、食費、宿泊費、全て面倒を見るという条件が書き記されていたため、こちらからOKサインを出した。アフリカで成功したバンド、カッコイイではないか。しかるに、メールのやりとりを進めていくにつれ、段々と話がおかしくなってきて、やれ余りのラップトップを持ってきてくれ、現地の貧しいミュージシャンに一人500ドル寄付をしてくれなど言ってくる。しかもカメルーンはフランス語圏であるためなのか、英文がメチャクチャで、ビジネスレターの呈をなしていない。I am tolding you、us are tell you,なんて平気で書いてある。英語の語源はフランス語ではなかったか。少なくとも日本語よりは近い言葉だろう。腹立たしい。こういう訳の分からないことに関わるから煙草の量が増えてしまったのだろう。最後通牒として、最初のビジネスレター通りに物事が運ばなかったら、御国には「行かない」とはっきりと、上品な英語で書いて送ったら、You are so rude, I’m told you that before等と書いてくる。どういう意味か分からない。過去なのか未来進行形なのか。とにかく、学校に行き直して英語を勉強しなおせ!と言いたい。仮にもビジネスレターであろうが。カメルーンまで行って、この担当者の首を絞めてやろうかと思ったが、それには旅費がかかるし、味方がいない。 また、契約書を交わしても、現地で契約内容が守られなかった場合、カメルーンの法廷に訴えることになるのか。カメルーンの法廷とはいったい何だ?想像の範疇を優に超えている。

連れて行くメンバーの安全、演奏状態、移動その他の責任をとるのは、私がリーダーなのだから当たり前だ。だがもし現地で約束が齟齬にされた場合、じゃあJR山手線で帰りますというわけにはいかない。人身御供に成る恐れがある。いずれにせよ責任はとりかねるので、最終的にカメルーン行きは無しにした。この準備に約八ヶ月、訳の分からない英語のメールに振り回され、くたくたになった。先方のメールの最後には必ず、IF GOD PERMIT IT!,などと書いてくる。ビジネスレターに神様を持ち出されては困るのである。では神様が許さなかった時にどうしてくれるのであろうか。 何事かが徒労となる事ほど虚しいことはなく、ましてや相手はアフリカ大陸にいるアホンダラである。しかも、航空運賃を得るために申請していた国際交流基金に、カメルーン行きは取りやめになった旨、電話で伝えると、申請取り下げの書類を提出せよという。面倒クサイを通り越して、崖から落ちるかと思った。海外はやはり、ヨーロッパが良い。テロだ難民だと騒がしいが、そこに生まれるドラマもあろう。新しい人種が混交するということは、新しい音楽が生まれる予兆でもある。どちらにせよ、やるせない気分を和らげるには、やはり煙草が必要だったのだ。

ある意味、居職の仕事といっても良かろう。演奏場所に赴くときは、電車などに乗ったりするが、普段は我が寓居のまわりの文房具屋、お気に入りのカフェ以外あまり出歩かない。このような生活なので、運動不足を解消するために、散歩を日課とし、小一時間、朝の7時に起きて歩いていたのだが、今日日、ドアを開けた瞬間、「この暑さでは散歩は無理だ」という日が続いているので、家でまんじりともせず、ピアノを弾いたり、未来の長方形を埋める作業をしている。私の趣味は古本屋巡りと読書であり、偶に映画鑑賞がそこに入る程度で、ゴルフやサーフィンなどやっている人の気が知れない。大自然を相手にする趣味は楽しかろうが、それなりに金はかかりそうだし、第一に、私が本当に大自然と対峙するなら、エベレストに行きたい。あそこには登頂に失敗した登山家の凍った死体がごろごろしているらしい。大自然を相手にするとは、そういうことだろう。いずれにせよ、人間は奇妙な生き物である。

チャンピックスの浮遊感がどれだけのものか分かってきたので、自らをコントロールする段階に入ろうと思う。喫煙欲はあるような無いような状態である。薬が効いているのか。だが普段よりもやはり頭はぼやける。この暑さの中で色々と難儀なことが多いが、それに加えての禁断症状は、なかなか味がある。次の段階とは作曲である。

その作曲段階に於いて、エフェクター類でピアノのサウンドをECMのようにしたら、良い曲が書けるかもしれないと思い立ち、知り合いのエンジニアの協力で、いくつか買いそろえ、ピアノにマイクを突っ込んで色々な音色を楽しんでいたのだが、どうも最終的には、やはり生のピアノの音が良いと判断し、それらを売りに出した。お陰様で完売に近い。このFBによって売れたエフェクター類もあるが、威力を発揮したのが、メルカリというアプリケーションで、これは全国規模でものを売り買いするシステムである。こんなものが世に出回っているとは夢にも思わなかった。古道具屋、古着屋、古書店はどうなるのだ。しかも、見ず知らずの人と値段の交渉などをする。中には、仮にとしておこう、これらのハンドルネームというのか、「ゲロッチ」とか「ふんどし王子」とかいう変な名前でメルカリに登録している方がいる。そのような人達とコメント欄でやりとりをするのであるが、中々シュールである。「ゲロッチ様へ 着払いで500円引きではいかがでしょうか」いったいオレは何を書いているんだ?

このような、ふわ〜っとした不条理感を感じると、ちょっと吸いたくなるのだが、カメル−ンからの謎のメールも、ゲロッチ様からのコメントも、皆この林檎の機械に集まってくる。妙な世になったものだ。

 

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禁煙日記1

禁煙日記

どなたか、禁煙の秘訣をご伝授下さい。お願い致します。

禁煙に挑戦中です。36年間、禁煙など考えずに吸い続けてきました。只今禁断症状の最中におります。このように文章を書いていると、気散じになるので書いています。おつきあい下さい。

作曲、練習、仕事、雑用、SNSによるスケジュール管理、○×急便のバカな対応へのイライラ、都知事選の結果への怒り、I phone, Mac book Airなどの機械類を完全に使いこなせないことに対する根本的な不条理感、ローマ字変換で文章を書いていること自体への妙な違和感、断捨離したはずなのに、片付けてもすぐに散らかる部屋、譜面、本の山、根本的に暑いというだけの理由による集中力の欠如と、欠如している自分自身に対する焦り、等々が同時に私の気分を不安定にするため、気が付いたら一日に煙草二箱以上を吸うようになってしまっていました。皆同じ条件で頑張っているのだ、と言われれば、仰るとおりなのですが。

しかも部屋でくわえ煙草状態で作業をしているときは、扇風機を間近に置いて、顔面に風が来る状態にしていることが多く、床一面が扇風機の風によって灰皿状態となってしまう。まずいと思い部屋の掃除を始めるのですが、それもくわえ煙草。何をやっているのか、根本的存在理由自体さえワケが分からなくなってきて、もう吸うのはやめようと思い立った後がまた大変。実はデンマークで仕入れてあるニコレットという代物がある。日本では手に入りません。これは一見、日本の禁煙パイポ状のものなのですが、その間にニコチンを湿らせた綿の入った弾丸状の部分に、円形のプラスチックカヴァーの付いた筒型のものを、そのデンマーク禁煙パイポに装着して吸うと、煙、灰を出さずして身体にニコチンを摂取できるという代物なのです。ニコチンガムも買うときに付随してくる。これは元々飛行機で海外に行くとき、機内で使っていた代物なのですが、、、、と言うことは、今の私は居間にいる状態であの嫌いな飛行機の機内にいるのと同じ状態ということになります。居間以上に居心地の良い場所が私にはないのです。瞳孔が開き、ニコレットを吸ってニコチンを摂取していても、口から煙が出ないとなぜか寂しい。ということで電子煙草とメンソールの液体を新宿で買い求め、電子煙草、ニコレット、e- cig、ニコレット、を繰り返しているうちに、急にペラペラと妻にワケの分からないことを喋りだしたり、庭から見える木の茂みの緑色が急に鮮明に見えてきたり、音に更に異常な敏感性を持つようになったり、急にパンツ一丁で暗黒舞踏のように身体をくねらせながら、顔を阿修羅のようにして意識をどこかにブチ飛ばそうと試みたり、気が付いたら生きている自分がいる、という状態に今あります。

思えば煙草との付き合いは長いとは言え、吸い始めるのは遅い方でした。24歳の時に、文房具屋でアルバイトを始めました。主な仕事は文房具を学校、事務所などに軽自動車で届ける業務だったのですが、なんとアルバイト初日、こちらの不注意でその軽自動車ごと電柱に突っ込み、小銭を稼ぐつもりが軽自動車代をその文房具店から請求されるというワケの分からない状態になり、ヤケクソで吸い始めたのが始まりです。その当時から演奏の仕事もしていましたが、演奏場所が煙りだらけで、吸っても吸わなくても吸っているのと同じであるから、吸うのは止めておこうと思っていたのです。

飲酒を止めるときも七転八倒し、辛い思いはしましたが、煙草を止めるのは、飲酒を止めるのとはある種違った、体内の奥深くに根を張った「欲求」との戦いとなっています。これは手強い相手です。ボストンで私にナイフを向けた黒人、銀座のナイトクラブピアニスト時代に、たびたび起きたいざこざの相手、演奏中騒ぐ客、こいつらよりも手強い。逃げることも、そいつを黙らせることもできない。なぜならば、相手は自分自身だからです。そして、その自分自身の中には、頭脳から来る「吸えという命令」と、意志から来る「冷徹な忍耐」の二つが同居しており、この二つを客観視している我は、デカルトの言うところの我なのかは分かりませんが、客観視してるからこそ、その命令とか意志とかを見つめられているわけです。では、その我を見つめている次の「我」はいったい誰なのでしょう。実際、その次の「我」がいなければ、このような文章は書けません。命令と意志を感じている我は、私の場合、客観視しかしていない。このように文章化するにあたり、客観視する我を見つめるもう一人の「我」が少なくとも私の中に存在する。多分、哲学者、池田晶子さんしか答えられない難問でしょう。しかし彼女は残念ながら物故しておられる。

さて、以下の文章は、煙草を吸いたい欲求を忘れるために気散じに書いているものなので、くだらないです。お暇な方、馬鹿笑いしたい方だけお読み下さい。

煙草のウマいとき、それは、起き抜けのコーヒーとの一服、暑い日にシャワーを浴びた後の一服、旨いものを喰った後の一服、いい演奏をした後の一服、夜中にふいに目が醒めた時の孤独な一服、若い頃は女の子と一戦を交えたあとの一服、

「ねえ、だめよ〜ベッドでタバコ吸っちゃ〜」

「いいじゃねえかよ、一服ぐらい」

「ダメなものはダメ。灰皿のあるとこで吸って」

「うるせえなあ」

「なによ〜そのタイドは〜、ここあたしんちなんだからね」

「半分俺んちじゃねえかよう」

「あたしんちよ〜、言うこと聞かないとオシオキ光線ピカー」

「うっ、まぶしい、なにやってんだよおまえは〜ぷは〜、お前バカなんじゃないの、ぷは〜」

「けむたいんだってば〜」

何ていいながらまた始まったりとか。

ああ、銀座時代も掛け持ちといって二件のナイトクラブで三十分ずつピアノを弾くというバブル絶頂時代の荒技中の裏技に揉まれていたのですが、そのチェンジの間に吸う煙草もウマかった。「ミナミチャ〜ン、景気はど〜よさいきん、ぷは〜」

「あ、バンマス、おはようございまっす。まあまあっすねえ、ぷは〜」

「ところでミナミちゃん何吸ってんの、ぷは〜」

「ブンタです、ぷは〜」

「なに〜、ブンタってセブンスターのことかよ、あのなあ、お前は銀座の一番高い店でピアノ弾いてんだぞ。ヨーモク吸えヨーモクをよう、マルボロとかアンだろ。ああいうのポッケに入れとくんだよ。かっこつかねえジャネエかよ、ぷは〜」

「バンマス、うっす、わかりました、ぷは〜」

「しょうがねえからオレのゴロワーズ一箱やるからよ、ぷは〜、ちゃんとカウンターに座るときはこういう煙草出して座わんな」

「うっす。わかりました、バンマス、ありがとうございまっす。ぷは〜」

とか何とか言っている世界に三年いたのです。

午後6時半からノンストップで夜の十二時まで弾き続けた後の一服がまた格別で、アフターで残っているチーママと、

「ミナミちゃんもおやすくないのねえ、ホステスの女の子にけっこうファンの子がいるんだからさあ〜」などとおだてられているとは分かりつつも悪い気はせず、粋がってゴロワーズジッポーを片手で操って、シュッ、カシャンとわざと大きな音を出して火を付けて,

「そんなもんっすかね〜、ぷは〜」などとテキトーに答えると、

「あら〜、気付いてなかったの。はい、灰皿。いい煙草吸ってんじゃないのよ、ぷは〜」

「バンマスにもらったものでして、いやあ、やっぱヨーモクは味と香りが違いますね、ぷは〜」

「日本の煙草なんかまずくて吸えやしないわよ〜、ぷは〜、あたしはねえ、セーラム吸ってんのよ、ぷは〜」

「ねーさん、ちょっとみせて下さい、おっ、オシャレなパッケですね。ぷは〜、さすがねえさん、粋でいらっしゃる」

「ホステスにお世辞なんか言っても通じないわよ。あんたみたいなピアノ弾きが、プハー」

「あれ、ハナシの方向が急に変わりましたね、プハ〜」

「やだ、煙をこっちに吹き付けないでよ、やんなっちゃうわねえったく、あんたはお客じゃないんだからねえ、プハ〜」「姉さんの煙を浴びたら間接キスだったりして、プハ〜」

「バカいってんじゃないわよう、終電大丈夫なの、プハ〜」「プハ〜、今日お客にタクシー券何枚かもらったんで、首都高一週でもしてから帰りますよ、ぷは〜」

「あら、粋がっちゃって、まだ若いクセして、プハ〜」

「し〜マセン。ママチャン僕とあまり歳は変わらないけど、ママ大人だもんね、ぷは〜。こっちはピアノだけ弾いてりゃあいいんだから。ほんとにご苦労さんす、プハ〜」

「だから銀座のママにオジョウズ言っても何もでてこないわよプハ〜」

「ひえ〜きょうはプハ〜、ゴキゲン斜めみたいだからぷは〜、ここらヘンで退散かな、ぷは〜〜」

あの頃は煙草が会話の中での「道具」でした。吸わないなんてことはあの業界ではあり得ない。況んやヨーモクでなければだめ、という状況で、私は奮闘していたのです。ですが、気疲れし、一人になった時の僕にただ黙って安らぎを与えてくれるものは、その紫煙をくゆらすことでもあったのです。

父親が火葬場で灰となったとき、煙突から出る煙を見ながら、別の種類の煙を吸っていました。あの時の一服も忘れられません。終わった。と思ったと同時に、オヤジ−、どこいっちゃうんだーと涙しつつ吸った煙草の味もまたほろ苦く、その時のやるせない気分の私を、ほんのちょっとだけ救ってくれました。

私がアメリカに留学している頃は、今ほど禁煙とかNO SMOKINGが厳しい時代ではなく、私自身もまだ精神的にもっと子供っぽかったのですが、煙草呑みのアメリカ人の友人から、「ヘイ、ヒロのシガレットの吸い方、クールだな」と言われて増長し、当たり前だろ、おまえらみたいに不味いものを大量に平気な顔をしてむさぼり食うカッペのアメリカ人とは人品骨柄が違うんでエ、なんて粋がっていたのです。

タバコを吸うことは、非常に楽しく、また仲間も増えることも確かです。一服する間の共有感は、吸わない方には多分、理解できないでしょう。

ここまでどっぷりつかった喫煙にさよならをする決意をしたきっかけは、一日二箱を過ぎたのみではありません。ただ単に嫁の一言です。私がタバコを吸うのが嫌だから止めて、と言われました。人間も変わるものですなあ、以前の私なら「じゃあ、オレに近寄らなければいい」の一言で終わらせるような無法者、バカ、恥知らずであったのですが、しかし、この電子煙草の充電は、何でこんなに時間がかかるのか。悔しい。自分の意思がこれほどニコチンに支配されていたとは。自分で自分を制御できないなんて。

一人アイスランドで、北海を眺めながらの一服も最高でした。うーん、地球はすごいところだな。それだけしか言葉が思い浮かばないほど、そこは絶景の地で、紫煙が猛烈な風に吹き飛ばされてゆく。さすがに吸い殻をそこにぽいとは捨てませんでしたが、味わい深い記憶の断片です。

考え事をしている時など、指が火傷をするぐらいタバコが短くなっていても自分自身気付かず、煙草呑みは、必ず一吸いしてから灰皿にもみ消す癖が付いているため、もうフィルターしか残っていない、考え事中の煙草を一吸いして、フィルターが燃えてむせかえったりしていました。

ドイツにツアーに行ったときも、最初に覚えた言葉が、「イッヒ・メヒテ・アイン・チガレッテン、ビッテ」であり、その次が「ヴォー・イスト・トワレッテン?」(トイレはどこですか?)でありました。

うっ、タバコが吸いたい、煙草が。うう。もう何日も煙草を吸わないのは、飛行機の中と、あの交通事故以来です。

 

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