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南 博 HIROSHI MINAMIのブログ

森羅万象/禁煙日記

禁煙日記21

禁煙をしてからコーヒーを飲まなくなった。喫煙していた頃は、毎朝起き抜けにまず一本煙草を口にくわえてから、コーヒー豆を砕くところから始め、丁重にその豆へ湯を注ぐのが習慣となっていた。そして濃い目の三杯を三四本の煙草と共に嗜むのが私の朝の迎え方であった。それで一日の頭のめぐらせ方の方向が見えていた。しかし禁煙後は、禅の本に倣い、朝起きてから端坐しながら深くゆっくりと深呼吸をすることを日課としている。窓を静かに開けて、朝の空気を感じながら一日を始める。街中の寓居でもかすかに聞こえる虫の声、風の音、雨音などと共に、小さな庭の緑を半眼で見つめる。自然と、コーヒーを飲む習慣が私の生活から離れていった。どこか無意識に、コーヒーを味わうと、突然喫煙欲求がぶり返すのではないかという恐れもあったと思う。

 

今朝も、朝の空気を吸ってから一旦気持を整えた。すると妻が、久しぶりにコーヒーでも飲んでみないかと聞いてきた。妻の言うことには何かいつも意味があるので、味わってみることにする。重複するが味覚が日に日に冴えてきているので、久しぶりに飲むコーヒーの味わいも、また早朝と言うこともあり格別だった。このような複雑な苦みの重層が口腔内をなめらかにする液体であったことを久しぶり思い出す。この苦みの中には沢山の想い出が詰まっている。それはやはり煙と共にあるもので、場所も地球規模で様々だ。ウイーン、ボストン、ニューヨーク、パリ、コペンハーゲンレイキャビックミュンヘン、フィレンツエ、様々なところでコーヒーを煙草と共に味わってきた。コーヒーの味と同じく苦い想い出の時もあれば、楽しく会話に花が咲いたときもあった。そこにはいつも灰皿がそばにあることが必定であった。国々により味わいの異なる煙草とコーヒーは、その国々の街、景観や言葉に、とても順応していた記憶がある。しかしそれはある種の錯覚であったと禁煙した今だから思える。タバコを吸わずとも、異国情緒は心で感じればよろしい。そして煙草に火を付けあった地球の裏の友人達。この儀式を経ると、人種を越えて互いの間柄が近づいたことも確かだ。異国にての電車移動、車移動にも、私にとって喫煙は、景色の流れと共に有る所作の一部だった。今はこの所作も禁煙車の普及で不自由になった。世の流れに唯々諾々と自分の考え無しに迎合したくはないが、喫煙により認知症、肺の病になるのはやはりいただけない。肺気腫は最も避けたいタバコの害が及ぼす病気である。病になることは非喫煙者でも避けることはできない。生老病死は必定である。ならばその課程を自分でアレンジすることは可能なのではないだろうか。いずれにせよ、無意識に日々病を早める行いを続けるほど、私は自己否定が強いわけでは無い。これらの思いと共に、コーヒーを味わうことのみを楽しむことができるようになった自分自身に小さな快癒を感じた。煙と共に思い出されるこれらの想い出を大切にして、それは過去のことと心の中に納め、私はこれから新しくなろう。

 

朝から物事を淡々とこなす。少しずつでよい。少量のカフェインにもある意味多分な覚醒作用があることが分かる。確かに身体がシャキリとする。これを喫煙時に三杯飲んでいたとは、自分自身に恐れ入る。おそらく身体の全てがニコチンにて麻痺をしていた証拠であろう。そして身体を麻痺させていなければ、続けられなかったことの何と多かったことか。頭が混乱して当たり前である。今は無理をせず、できることをできるだけ行動するという、至極当たり前の自分に変化してきている。休むべき時には躊躇をせずに充分休めば良い。

 

試しに、その休み時間に、自分の内をじっと見つめて、本当に喫煙欲が無くなったのか、静かに確かめてみることにした。これも朝の短い時間のうちに行う、自らが編み出した有効な禁煙の方法だと思っている。たとえば今、煙草が一本私の目の前にあったら手を出すだろうか。出さないと思う。手に取ることはあっても、それに火を付けるところまではいかないだろう。昨日のことだが、机まわりを整理していたら、名刺入れに入りきらない名刺を煙草の空箱にまとめていたもの発見した。過去の残骸としか思えなかった。私の好だったその銘柄は、濃いグリーンの直線を描いたもので、その鋭角なデザインが、まがまがしく私の視界に飛び込んできた。その箱を触ることも恐ろしく思ったが、このデザインに魅惑されて買い続けてきた自分の記憶も辿ることができた。それらの思いと共に、即座に中の名刺を抜き取って、煙草の箱を見つめながらゆっくりと手の平で握りつぶした。そう、久しぶりにこの手の感触を思い出した。喫煙時に空になった箱を何万回かこのようにして手の平でつぶし、ゴミ箱に入れてきた。今回は、喫煙という行いを省いて、煙草の空箱を手の平でつぶした。また一つ自分の中のよけいなモノがそぎ落とされたような身軽さを感じた。

 

ゴミ箱に捨てた後の、ある意味さっぱりとした、最後の憑き物が落ちたような感覚は、文字では描写しがたいが、生活や記憶の中に細々と隠れたこのような喫煙にまつわる物が身の回りからそぎ落とされてゆくことが、気持の軽さに繋がっていく。タバコの箱と共に机の引き出しの奥から出てきた使い古しの百円ライター二本もゆっくりとゴミ箱に持っていった。災害時に役立つのではという気持が横やりを入れたが、自分で自分を無視し、ゴミ袋をゴミ集積所に持っていき、部屋に戻った。簡潔な部屋と環境。なかなかよいものだ。今更禅の教えを生活に取り込むなど遅いどころか間に合わないのではと感じたりするが、一休宗純が好きなのだから、素直に自分自身を、それに倣うよう生活することは悪いことではない。やらぬよりやった方がまだ良いという結論にて、まずは気分から入るため、大きな紙片に大きな字で「本来無一物無一物中無尽蔵」と丁寧に書いてから、いつも目にする居間の一角に貼り付けた。行動にも繋げていくことが大切だと思いたい。「脚下照顧」という紙片も玄関に張った。日々の所作をこちらの方に意識を向け気持を整えてゆけば良い。何よりもタダであるし、家の中が整うし、所作も簡潔になっていくであろう。少しずつ実践してゆけば良い。音楽と同じだ。続けていくことが大切だ。煙だらけの部屋などよりマシであることはいうまでもない。

 

後悔先に立たず。今から実践するしかない。今が一番新しい。

 

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禁煙日記20

今朝私は、頭にぽこんと空洞ができたが如くの感覚で目覚めた。奇異な気分である。今まで味わったことがない新しい感覚で、まるで私が今まで普通に見てきた日常の風景、つまり居間、ベッドルーム、洗面台のような見慣れた屋内の立て付け、また、カウチに座った状態で目に入る机の上の物、コップ、ペン立て、携帯電話などのケーブル、それらが、何の意味もなく、何を意味する訳でもなく存在しているように見えてならなくなった。さながら、倦怠感とも違う、静謐で凪いだ海面のような心根を伴う別の私自身に出会ったかのような心持ちである。そのような自分の観点から身の回りのものを見渡してみると、私の頭と同じように、全てがぽこんとしているのである。これは昨日の過ごし方、また身体に感じた、今までに経験したことの無い落ち着いた気分に起因しているのかもしれない。

 

 

昨日はプールが意に反し休館日だった。しかし、身体を動かしたいという衝動を抑えきれずに、私は、市民プールから戻るやいなや、海パン道具一式を寓居のドア口から玄関に放り込むと、おもむろに駆け出した。ジョギングのやり方を知らないにもかかわらず、やたらメッタラ信号の少ない道を選び、踵で地面に着地し、爪先で上体を蹴り上げることだけ意識して、寓居の周りを約45分間走りきった。こんなに長く走ったのは何年ぶりか。寓居に戻ってみると、ただただ爽汗で汗みずくの私が、玄関の暗闇に立っていた。禁煙したからであろうか、鼻呼吸のみで走りきることもできた。しかも更に胸を張れるようになり、肺自体の動きも、喫煙時より相当マシになっている。明日からは、プールの後先にランニングも加えて行けば、私は、確信は持てないが、大げさながら、新しい存在に生まれ変われるのではないだろうか。

 

その後、年若い友人のエンジニアと会う約束があったので外出した。私のMacの操作の仕方を、寓居近辺某、オープンエアの場所にて、彼に教わるためである。やはり若きエンジニア、私のあずかり知らぬ機械の沼の奥底に潜り込み、私の見も知らぬ画面の数々や、巧みなキーボード操作によって、少しずつ問題が解決してゆく。海外へ送りたかった映像も、圧縮ではなく、何やら本式の機械に繋げることで送信することが出来た。

 

この若いエンジニアは24歳で、高校時代から携帯電話を持つことが常態化したとのこと。また、彼より下の代は、小学校からIpadなどを操作する事が普通になっているという。驚くことでもないが、隔世の感は否めない。私は20代の頃、十円玉を大量に集めて、当時の彼女と親が電話に出なさそうな時間を示し合わせ、公衆電話のボックスに駆け込んだ思い出がある。感性、行動、ものの考え方が、このエンジニアを含め、私の世代と違っていて当たり前なのである。何れにせよ、その禁煙のオープンエアの場所にて、喫煙したいというストレスを感じること無く過ごせるようになったのも、禁煙のおかげである。E-Cigarettesも最近外出時に持ち歩かなくてもよくなってきた。E-cigの液体を取りかえたり、充電することが面倒になってきたのである。

 

その年若いエンジニア氏も一日休みだということで、渋谷ビックカメラにてヘッドフォンを選んでもらう事にする。古いものが壊れていたのでちょうどよかった。あの騒音の中、聴き比べるという作業が困難である為、専門家にご同行して頂いた。

 

以前はビックカメラに五分以上いると、音と蛍光灯の洪水にイライラし、喫煙欲求が頭をもたげる事が常態化していたが、禁煙し、運動を心がけていれば、そのような欲求も不思議と起きない。薬の作用もあろう。 

その後も、背筋を伸ばすことを意識し、鼻呼吸で息をしながら渋谷の街を若いエンジニアと少し歩いた。

 

エンジニア氏と別れたのち、夜少し根を詰める作業をしていたら、今迄に感じたこともないような、静けさと安寧が脳内にじわじわと広がるのを感じた。これは一体どうしたことか。以前、禁煙外来の医師が仰っていた、いわゆる休む脳に私の身体が自然に変化しているということなのだろうか。じっと自分自身を客観視するとこが得意な私でさえ、外から自分を見つめる事さえも出来なくなり、私は本当に久しぶりに小学生の頃の、母親が作る夕飯を待つ少年のような心持ちに陥っていた。イライラもない。未来に対する不安、焦燥感も無い。この様な穏やかさ、静謐さは、ついぞ追憶の彼方の彼方に沈み込んでいたものであったと直感すると共に、まだ私の、ニコチンにおかされた脳の中に残っていてくれたのかという感慨からくる静かな感動が、ふわりと私の身体を包んでいった。

 

昨晩に経験した体感事例はこういったもので、入眠時にも、医師に処方されたメラトニンのみで寝付くことができた。夜中に目を覚ましたが、夜中に目覚める焦燥感もなく過ごすことが出来た。

 

さて、これらの身体的変化の後の今朝の話に戻る。全てのものが何の意味もなく見えてくる事が、チャンピックスの副作用を含めて、昨晩の安寧な時間の次に体験するものなのかも知れない。とにかく今日一日やらねばならない事がある。やらねばならないそれらの事柄は、私の身の回りにある物々に、私の脳が命令を出し、コップにはお茶を注ぎ、Macはコンピューターだからメールチェックをするもので、という風にこれらの物に意味付けしていかなければならない。そうしないと、しなければいけない事柄をこなす事ができない。さて困ったと窓の外の緑を凝視し、まあ、焦る事はないか、という気持ちになった。全ての事柄を長い目で見よう。チャンピックスの服用時期は三ヶ月である。

 

ええと、Macはコンピューターで、コップはお茶を注ぐもので、カウチは腰掛けて座るところで、と。

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禁煙日記19

「シーモアさんと、大人のための人生入門」の試写会の招待状を、思いもよらない方から頂いたので、観に行くことにした。製作はイーサン・ホークス。ニューヨークに住む84歳のピアノ教師が主人公である。以前バーグマンの映画を観たときに予告編は見ていたので気にはなっていた。一般公開は十月一日だという。

 

 

その日の私は、やはり薬の副作用でなにも手に付かない日であったので、ある意味ありがたきはがき大の招待状であった。私は今まで全てのことに根を詰めすぎていたと思う。以前であれば、映画を見る暇があったら練習しようと思うことが多かったのだが、今の私は、様々な人の生き様、考え方、ミュージシャン以外の人々の暮らしぶりや発想なども知る必要性を感じていた。私の生の行程は音楽業界のみに限られてきた。自然行動範囲も偏り、人間関係も特殊となる。そういった状態に息が詰まっていた私には、この招待状がある意味救いであった。さらに今回の映画は、クラシックとはいえピアノの先生の話であるので、参考になること大であろう。

 

試写室は京橋にあり、久しぶりに東京の真ん中から東側に地下鉄から降り立った。私の祖母の家は新橋にあり、この辺りも、昭和の中頃、祖母と何度か訪れたことがある。確か祖母が友人の家を訪ねていったときに私もそれに付いていったのである。祖母の友人の玄関を通る時に見たまばらな那智石のたたきに、私はまだ小さな運動靴を脱いだのだ。その光景が未だに目に焼き付いている。短い廊下の奧にそれとない床の間をしつらえた狭い居間で、祖母はその友人と話し込んでいた。私はすることがなく、ただ祖母の横に正座をしていた。その居間には、最近見かけなくなったいわゆる卓袱台(ちゃぶだい)があり、その上には、最近は更に見かけなくなった青い竹の模様の入った青磁でできた丸い大きな灰皿が置いてあった。灰皿というより煙草盆と呼ばれていたような記憶がある。本当の煙草盆の意味は灰皿ではないのだが、その頃の昭和の人達は、どうしてか灰皿とはいわなかった記憶がある。祖母の友人の夫であったか、ゆっくりと紫煙をくゆらせて、その煙草盆にトントンと灰を落としながら、祖母との会話に加わったり加わらなかったりしていた。あの頃は皆煙草を吸っていたのだ。京橋辺りにもその当時はこのような民家が軒を並べていたような想い出がある。

 

しかし、試写室に向かう道すがら見る今の京橋は、私の知っている京橋とはまったく違う世界になっていた。銀座のような日本橋のような、大手町のような、つまり私にとっての京橋らしさがかなり失われてしまった場所に変貌していた。首都高がかろうじて見えるので方向は分かったが、それ無しでは多分方向オンチにもなっていただろう。東京の街々が全部同じに見えてくることほど悲しいことはない。

 

映画試写を見るのは久しぶりなことで、この京橋テアトルも初めての場所である。テアトル以外でも、とにかく外出して、地下鉄を降り目的地に着いたら一服が私の所作であったが、テアトルに到着し、映画の始まる間の時間、私の中に喫煙欲求は沸いてこなかった。不思議な感覚である。非喫煙者といわれる人々、私もその仲間入りをしている最中だが、こんなにも心情的に楽な状態であるとは、本当に思いもよらなかった。非喫煙者とは、映画を見る前に一服しなければならないというストレスを感じることなく今まで生きてきた人々であるという、当たり前のことが実感できる瞬間だった。

 

楽だ、本当に楽だ。煙草を吸わなくて良いという状態がこんなに楽だったとは。喫煙していた頃は自分を楽にするために、という思いから煙草を吸っていたのである。それが煙草無しで腹式呼吸をしていると自然に気分が落ち着いてくる。どうして早くこの状態に戻る手立てを考えなかったのか。自業自得であり、妻に感謝の念しか起きない。

 

さて映画の内容は、以前バーグマンの映画を観た際にもそうしたように詳しくは述べない。ただ、目からではなく、心から涙がこぼれるような映画だったことは明記しておきたい。秀逸な内容であった。アメリカ映画といえば、ピストルバンバン爆弾ドカーンカーチェース、血しぶき暴力どんでん返し、セックス特撮てんこ盛り、と相場が決まっていたが、この映画にはまだアメリカの、古き良きNYの良心を感じた。これ以上書くとネタバレとなる寸前までいってしまいそうなので、この辺にて映画自体のことを書くことを止めにするが、バーグマンの映画を観たとき以上に、喫煙欲求なく過ごすことができた。地下一階の試写室からエレヴェーターに乗り、外に出たあと、曇り空の京橋の街並みとその空を見上げる。ああ、いい映画だったな。映画を見終わったあと、煙草一本吸わずにいても、そう思える自分が新鮮であった。これからは、映画も落語も観劇も、飲食喫茶レストラン、仕事場さえも全てが私にとっての自由な空間となるのであろう。

 

副作用と同じ色の空を見上げながらそう思った。

 

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禁煙日記18

禁煙日記18
年金支給が70歳に上がる相談が始まったそうである。テレビは見ないがこういうニュースは自然と耳に入る。ニホンも貧乏な国になったものだ。高度成長を支えた、我々父親の世代は馬車馬のように働いていた。その結果がこれである。面白いと思うしかない。いずれ五年も経てば、ニホンのことだから、年金支給は80歳からと言い出しかねない。煙草を一本吸うごとに14.4分寿命が縮むそうだ。36年間吸っていたのだから、もう何年寿命が短くなったのか計算するのは不可能に近く、する気も起きない。いずれにせよ、国が長生きされては困ると、お年寄りに間接的勧告を出しているのと同じであるから、私はある意味、それに準じた事になる。私は「良い」国民ではないか。意外である。喫煙は、動脈硬化からくる認知症になりやすいと医師が教えてくれた。認知症になったら年金の心配もできない。政治家の思うつぼである。とにかく、政治のこうした細々とした事を考えながら生きるのがバカらしいから、テレビニュースを見るのを止めたのである。朝から気分を害したくないからだ。朝はラヴェルの音楽のように目覚めたい。夜寝るときはビリー・ストレイホーンだ。後は野となれ山となれとなるように、ニホン政府が仕向けてくれている。
禁煙は放棄しない。しかし、何かまた別の考えや所作を放棄しないと、いくら野となれ山となれと思っていても、世の動きについてはいけなくなる。どちらにせよ、働き者が馬鹿を見て、グリム童話の時代から何も変わらない。
禁煙をして、五感が敏感になり、人間の目つきに嫌でも視線が向くようになってしまった。特に新宿界隈の電車のホームにいる人々の目つきが唯々怖い。尋常な目つきではない。人を押しのけてでも、突き落としてでも、何かしらの事柄を時間通りにやらないと、オレはこの世から抹殺されるといった目つきの人間が多い。余裕が無いのだ。ニホン政府とおんなじだ。そういうものを背負い込んだのは、いろいろな事情があるのだろうが、やはり教育に行き着くと思う。ニホンの教育はいびつだ。ボストンに住んでいた頃、ハイスクールのプロムナード、つまりパーティーの仕事でよく現地の高校で演奏をした。そして彼の地の教育事情を目の当たりにして息を呑んだ。これは1992年当時の事情だが、学生服など男女とも誰も着ておらず、先生が背筋を伸ばすことを強要しているようには見えなかった。パブリック・スクールだったからかもしれないが、足を投げ出している生徒、机に顔を伏している生徒、様々であった。そして教室の中には、白人、黒人、アジア人と全ての人種がいた。余裕を超えた人間鍛錬の場であると思った。各教室に小さな星条旗がはためいていた。こんなことをニホンの学校でやらかしたら、○×組がなんと言うのだろうか。これも洗脳と言えなくもないが、あまりにも直球で清々しいとしか言いようがない。○教×と、それと争う対立者もいない。私はアメリカ礼賛では決してないが、はっきりとしたことは好きである。席順も決まっていなかった。座るところはその日の気分で生徒が決めて良い。椅子机ともぴったり一列に並んではいなかった。各々黒板が見やすい位置にばらばらに配置されていた。班という制度も無い。この教育事情は、1992年以降、コペンハーゲン・ジャズ・フェスティヴァルで何度も訪れたデンマークでも同じであった。しかもコペンハーゲンの小、中学校は、ため息の出るようなステキなデザインの校舎で、まわりを壁で囲まない造りとなっているところが多く、非常に開放的であった。ニホンの学校は、公立なら全国同じデザインである。そして、私の知る限り、教室の窓はなぜか黒板を背にして右側のみだ。デンマークの冬はニホンより寒いが、光彩を空から上手く取り入れる天窓のデザイン感覚など抜群である。北欧の有名な建築家が学校をデザインしていたりする。教室も光彩を考えた、すばらしいデザインでできあがった居心地の良いステキな空間であった。とにかく長方形でコンクリートむき出しの校舎に、これまた味も素っ気も無い長方形の「教室」ではなかった。
良い面ばかりでは無い。教養の無いアメリカ人は、フランスの首都さえ知らずに平気で生きている。しかし、ハーヴァードの日本語学科の学生は、私より漢字を知っていた。ニホンはこのようなばらつきが少ないと信じたい。均一に教育するという点では秀でているのではないのだろうか。いずれにせよ、まだ改良の余地ありである。こんな複雑な言語を扱っている時点で、そこらのアメリカ人より頭のできが違うと思いたいし、それだからこそ改良点も見いだせる頭があると思うのだが。
しかしその、「そこらのアメリカ人」の中から、世界の音楽の歴史を変える大スターが生まれる。アメリカが他の国に様々な酷いことをしているという歴史的事実があるにしても、やはりアメリカから生まれてくるものが多い。アメリカに影響を与えたニホンの音楽家の数はまだ少ない。このことと教育が関係ないはずは無い。ニホンの学校では、席順、班、それにピタッと並べた椅子机。全国同じデザインの校舎、これらは旧日本陸海軍、拘置所などと人のまとめ方が似ているようにみえてしょうがない。十把一絡げという英単語はない。これは学生時代から会社に入ることのみを想定したシステム以上の、何かしらの策略さえ感じてしまう。とにかく、何か少しでも他より「変わって」いる者には、居づらく、息苦しい「場所」であったことは、既に私自身が経験済みである。元々規格外の人間はこのニホンのシステムに入り辛い。いじめが流行る土壌も充分だ。要するに、人間を人間としてみるという基本的構造までは、明治人は真似られなかったのだろう。そんな所で民主主義だ人権だと言ったってたかがしれている。こんな偉そうなことを言っていられるのはお前だけだと思われる方もいようが、私はだからこそ、本能的に子供は作らなかったし、ジャズピアニストに銀行がカネを貸すはずもなく、資産もなく、金持ちでもないが、借金も「できなかった」し、ローンも「組めなかった」し、機械オンチが幸いし、株にも手を「出せなかった」。お陰様で、とても単純な生活を送ることができている。思ったとおりだ。学校の教えていたことを鵜呑みにせずに本当に良かった。良い学校に行き、良い会社に入り、退職金をもらって隠居、という昭和スゴロクはとうの昔に終わっている。勉学は大切だが、何のためにやるのかという方針が、お国のためとなる事は、非常に危険である。勉学は自分のためにするものだ。そしてこれからはコスモポリタンを目指すべきだ。また、そういう人材を、国が援助すべきではないのだろうか。しかし、お年寄りに優しくない国が、そのようなことに手が回るとは到底思えない。
禁煙により冴えた直感にて、以前とは同じ事が、まるで違って見えてくるようになって、私は更に新しい体験をこれからしていくことになりそうだ。70歳の誕生日の前日に亡くなる方が、悔し涙に暮れる世が、もうすぐ実現するのであろう。
禁煙の話からそれた。まあ、そのような学校に行「かされて」、いずれにせよ年金受給は遠「ざかる」のみ。段々と煙草などに税金を払う気がしなくなってきたのは、私だけなのだろうか。

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禁煙日記17

 

禁煙日記17

確かに、禁煙し、毎日運動をしていると食欲が出てくる。医師の言っていたとおりだ。そして、禁煙して太ってしまったために、また煙草を吸ってしまった人の話を医師から聞いた。気をつけなければなるまい。いずれにせよ難儀な事である。ミュージシャンなんてやっていても喰えない、と何度言われたことか。おっしゃるとおり大金持ちではないが、禁煙をして体重管理をしなければならないとはこれ如何に。実際不安定な仕事であることには変わりはないが、同僚、先輩ミュージシャンを含めて、飢え死にしたバンドマンというものを、幸いまだ見たことがない。そこで居直って図々しく今まで生きてきた面もあるが、妻帯者となった今は、こういう考えを少し改めないといけなくなってしまった。今まで有り難いことに、どんな難局の時でさえ、不思議とどこかに食い物はあった。どんなに困り果てたときでも、なにか食べる物はあった。今は妻がだいたいの献立を用意してくれる。内容は、至って家庭的で、肉、魚料理をおかずにご飯と味噌汁である。有り難いことだ。喫煙時と食事の内容はあまり変わらないが、味覚が鋭くなったせいもあり、全てが新鮮で、しかも美味しい。畢竟夕飯が楽しみになる。運動もしているので自然に食欲が増す。凝ったところで凝った食事をすることはもう散々やらかしてきたので、今はこの生活で充分満足である。しかし、そこに体重管理まで気にしなければならなくなったとは、私もお大臣様になったものだ。

 

妻帯者になる前までは、嫌なことも沢山あったが、バチアタリな事に、スキなことをスキ放題に、やりたい放題にやって生きてきた。実際、バブルの時代はそれが許されていた時代だった。音楽に対しては真剣だったが、それ以外は羽目を外すときが多かった。ミュージシャンもサラリーマンもダライラマでさえ、いずれ死ぬこととなる。畢竟どう生きたか、どう死ぬかが私という一人の人間が持つ世界が消滅する意義であり、それは職を問わず私以外の誰でもが同じなのではないだろうか。有名無名も関係はない。この自らの殺生与奪権を、組織に管理されるのか、自らが管理するのかの違いが、私のような生業と組織に入って職業を持つ人の違いなのであろうが、最終的にくたばることには、なんら変わりはない。生まれたからには、この世にその人なりに参加して、友達が沢山いようが、孤独のままでいようが、人一人生きていれば、そこには「世界」が存在し、死はその消滅を意味する。人の一生は、ただそれだけのような気がする。

 

しかし私は妻帯者になってしまったので、これらの考え方も禁煙以外に考え直さなければいけない幾つかかの変更事項があることを自覚することを余儀なくされている。スキ放題には喫煙も含まれる。肺気腫になり、よいよいのまま七十、八十まで生きてしまい、妻に迷惑もかけられない。肺の病はガンよりも、肺気腫のような呼吸困難になる恐れの方が高い。酒煙草をやらずして、難病にかかる方も世の中にはおられる。考えを改めるべきだろう。

 

いろいろな哲学の本を読んできた。ニホン人では中島義道池田晶子がおもしろかった。フロイトから心療内科まで、うつ病で地獄巡りを一周した。精神分析も随分やったし、こちらがいやがっても分析された。心療内科に変な薬も飲まされた。そして何よりも、たくさんの本を読んできた。そして私の出した最終結論は、まあ、死ぬまで生きるだけでも大変なことだ。それだけだ。そして、仮に今までとしておくとしても、耶蘇の神もお釈迦様も、本当に私が困っているときに助けてはくれなかった。念仏唱えてメシが喰えれば、とっくの昔にそうしている。一転、私は唯物論者でもない。唯物論者が、音楽などやるわけがない。しかもこんな割に合わないことを長いこと続けるはずがない。ではあなたは何かと言われれば、私は私自身であるとしか答えられない。と同時に、誰とも同じく、長点も欠点もあり、意識と無意識があり、優しくて時に残酷、気が大きくてセコく、理知的でまぬけな、人間であるだけである。長点のみの人間なんているわけがない。以下も同じだ。更に言えば、基本的に、これは私の考えだが、人間には六種類半しかいないと思っている。金持ちと貧乏人、良い人と悪い人、頭の良い人と悪い人、後の半分は本物のキチ○×。人種も国籍も関係ない。何かに対しての絶大なる才能など、この範疇に嫌というほどはびこっている。そしてこの世の中が面白く、一筋縄ではいかないのは、これら六つの要素+1がない交ぜになって、ゴチャゴチャになっている人がうじゃうじゃ生息していることだろう。頭が良いが悪い人、頭が悪いが金持ち、貧乏でキチ○×なんて最悪だ。とにかく挙げていけばきりがない。そこに酒と煙草が混じり合うのだから、江戸川柳、小林一茶そのままだろう。「人の世は 地獄の上の 花見かな」

 

愛はどこへ行ったと問われそうだが、この六種類半は人間的恒常性という条件のしばりの上で述べているつもりだ。愛情深い、神経質、情にもろい、人に厳しい等々という心情は、人間であるからこそ、その時々、状況によって変わりやすい。永遠の愛があるならば、浮世は既にニルヴァーナ仏教でいう涅槃になっていないとおかしい。人間は複雑だ。人間に絶対的な恒常的「愛」があるならば、戦争以前に、既に軍備なんていうものも必要ないはずだ。南米がスペイン語話者の国となり、アフリカは食いつぶされた。アメリカの歴史など目も当てられない。どうしてこうなったのか、誰かに詳しく説明してもらいたいものだ。神経症フロイトがその病名を付けた所から病気となった。お天道様の下での、恒常的なものは無い。極端なことを言えば、地球はあと六十数億年で太陽に飲み込まれるそうだ。そのあとに神様のする事は何なのか誰か説明して欲しい。人間が全て滅ぶということは、意識の集合体もへったくれもないわけで、そのあと神様は、いるとすれば何をするのでしょう。これもこの方面に詳しい方にぜひ説明してもらいたいことの一つだ。いずれにせよその太陽膨張説の前に、既に全てが、人間の歴史自体が残酷そのものではないだろうか。そしてこの科学者の伝が本当ならば、永遠も存在しない。在るのは宇宙のみだ。永代供養の意味など無くなる。まあ、私が妄想するこれらのことがもし本当だとしてもウソだとしても、本当はある意味どちらでもいい。楽しくジャズを演奏して死んでゆきたい。

 

まあ、この世が単純にして複雑なのはこれが理由であろう。誤解を招くようなことを書いているが、アフリカのことを考えれば、貧乏人の意味が分かってもらえるだろうか。ニホンなど、ある意味マシな方である。芸術がどうした、音楽がこうだ、政治がああだと話をしている間に、飢え死にしている人が、アフリカ、その他の世界には沢山いる。この事実をどう解釈すればよいのか。

 

それでも私は困り果てたらホトケサマ〜と思わず漏らすのであろう。喫煙欲無し。油断すべからず。

 

プールに行く時間だ。

 

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禁煙日記16

 

禁煙日記16

重複しますが、酒煙草をやらずして、重篤な病におかされる方もいらっしゃることを承知で書いております。ご笑覧下さい。

 

今朝、私はなにやら脳みそがずれたような感覚に襲われ、やる気と倦怠感が三十秒ごとに入れ替わる感覚にも苛まれ、いても立ってもいられなくなり、寓居からすぐのところにある禁煙外来に行くこととにした。こういう時の為に歩いてすぐの場所に禁煙外来を探しておいたのである。チャンピックスの副作用であろう。

 

担当医は以前の先生とは違ったが、優しく接して下さった。医師は、私の今までの生活状態、前回のデータ、今の私の状況を見て、少なくとも今日一日だけは休む事が先決という診断をくだした。私には今晩演奏の仕事があると説明すると、では、あなたの社会生活は大切な事柄だから、演奏前までは何もせず、充分休むことと再度言いわたされた。脳には活動する脳、休むための脳があり、それがうまく機能していないため、私は疲弊しているそうだ。薬の副作用のみならず、だからこその不眠であり、倦怠感なのである。思い当たることは多々ある。頭に渦巻く数々の、浮いては消える異形なる思いも、脳が疲弊、疲労している証拠で、それを放置することが必要だとも教わる。それによって曲を書こうとか、振り払おうと無理をせず、その状態を楽しめるようにすることが快復への早道である。それらのことを鳥の目で俯瞰するようにして、やりすごすしかないそうだ。しかしこれは禅のお坊さんの境地ではないか。

 

医師の説明は続く。これは備忘録でもある。脳を喫煙以外でも休ませる方法が必ずあること、その状態になる方法を喫煙以外に探すことが大切であること、なにも手に付かなければ一旦休むこと、リラックスするための脳をどう働かせるかが大切であること。私は、書くという動作だけ、何故だかどんなに疲弊していてもしてしまうと説明すると、医師は、書くことが一つの休みとなり、今苦しんでいる症状を救う手立てであるとあなたが思うのならば、そこは逃げ道の一つであるという。しかし、書くことはブルーライトを浴びながら、頭を働かせることなのではないかと質問すると、それでも書くことが一つの休みになるという。書くことに逃げても良い。眠ることも眠るという状態に脳が逃げていると考えてもいい。機械オンチであるにもかかわらずFBに禁煙日記を記し、世間に喧伝することで、禁煙せざるをえない状態に自分をもっていった事を説明すると、「う〜んうん、酒煙草に比べれば、ブルーライトの害など、世間では騒ぎますが、ごくわずかですよ。一つのことが全て丸く収まることはないのです。この世はオーダーメードで出来ていないのですよ。機械に妥協しましょう。書いてみてはどうでしょう。焦らずに一つ一つ自分を楽にしてやることが大切です」

 

医師の言うとおりである。私は無意識のうちに自分を救う手段を見つけ、書くことによって自分を救ってきたようだ。やはり書くことが禁煙の症状からの脱却であったのだ。

 

家に帰り、私は医師に言われたとおり、今夜行われる下北沢アポロでの演奏まで、普段演奏前にやっていること、指慣らしの練習、その他の「しなければいけないこと」を全て放置し、カウチに横になった。頭の中がぼんやりしていそうで、しかし突然表出する過去の異形なる思いが、再度走馬燈のように駆け巡る。きたぞ。さて、医師の言うとおりにするならば、私は修行していなくとも、修行したことに自分を無理矢理ねじふせて、私は禅を習得したと思いこむしかない。しかし、司馬遼太郎氏の文章に、禅を習得できるのは何万人に一人であると書いてあった覚えがある。だが今は、その何万人の一人が自分だと思いこまなければこの場を凌げない。

 

そうだ、一休宗純を真似れば良いのだ。一休さんだ。以前本で読んだことがある。臨済宗だから禅宗である。本は売ってしまい手元にないが、とにかくミュージシャンよりファンキーなお坊さんがいると思った記憶がある。禅僧になるのは大変な修行が必要だが、一休さんのような破戒僧を参考にすれば良いのではないか。僧であるにもかかわらず、何度も自殺を試みたり、カラスの声を聞いて大悟したりしたことまでは覚えていたが、ウイキペディアによると、男色、肉食、飲酒や女犯を行いとある。更にいろいろと調べてみると、当時はカネで高僧の地位を買えたとも書いてあった。一休さんはそれにケツをまくったのである。「釈迦といふ いたずらものが世にいでて おほくの人をまよわすかな」という句も残している。一休さんの言葉には、私の感性にぴたりと合う親近感を感じる。釈迦を知り尽くした人の言葉であることも忘れまい。頓知とはユーモアにも繋がる。この頓知で副作用を上手に抑え込めないだろうか。

 

私の好きなサイトに、「世界恩人墓巡礼」というものがあり、ここにも一休さんの事が記してあった。一休さんは他界する直前に、「どうしても手に負えない深刻な事態が起こったらこの手紙を開けよ」と弟子達に手紙を残した。後年、弟子達に重大な問題が起こり、恐る恐る手紙を開封してみると、「大丈夫、心配するな、なんとかなる」と書いてあったとのこと。わはははは。この人は昔気質のミュージシャンに似ている。しかも最高の解答でもある。そして今の私にとって最も必要な気質をこの一休さんという方は放たれている。すばらしい。

 

更に調べを深めてゆくうちに、私はもっと一休さんのことを知る必要があることが分かってきた。このお方の感性は、僧である以上に、ある意味ジャズメンに似ている。しかも当時の平均寿命を優に二倍超えた八十八歳まで生き続け、僧であるにもかかわらず、臨終の言葉が「死にとうない」であったという。規格外の存在だ。他にもすばらしい言葉ばかりを後世に残している。早速、水上勉著、「一休」をアマゾンにて買い求めた。

 

さあ、大丈夫、心配するな、なんとかなる、アポロでダーンといい演奏をしよう。

 

禁煙日記続けます。

 

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禁煙日記15

禁煙日記14

重複しますが、酒煙草をやらずして重篤な病におかされる方が数多くいらっしゃることを承知の上で書かせていただきます。

 

煙草無しの日常に慣れるには、ある一定の期間が必要なようだ。昨夜は気分が楽であったのに、今日の午後は身体が妙にだるく、以前の私なら、ここで一服であったが、喫煙は倦怠感を増す作用があることを医師から教わった。もう充分である。私は精神的にも、肉体的にも、自分なりに限界に挑戦してきたつもりだ。確かに、身体の声だけ聞いていれば親不孝者ではなかったであろう。しかし、生き残れたのかと逆に考えれば、生き残れなかったと思う。身体を限界以上に酷使して、やらなければいけなかった事の何と多かったことか。精神的にも肉体的にも歯を食いしばらざるをえない時々が、生きていれば誰にでもあるはずだ。私はそこで喫煙に安寧を求めた。確かに煙草は、親友であった。どんなときでも一緒であった。裏切ることも無い。しかし、種を明かせば一番のカネ食い虫であり、後ろにスペードのジョーカーを隠し持っている、へらへら笑いの悪友だった。私は危機回避感覚が鋭い方だが、その私を、後ろ手にスペードのジョーカーを持ち、満面の笑顔で付き合ってきたこの親友は、相当なタマだ。こいつは本当に悪の手先としか言いようがない。ツンデレで○×型の、○×座の女性より、凶悪に危険な存在だ。そのような女性と関わってはダメだと分かりつつ、そのツンデレの可愛さにほだされて、振り回され、いくらの授業料を払ったかしれない。煙草も同じ事である。そして、悪友とて友人である。お別れのしかたがあるはずだ。じゃあね、ですっぱりさよならするか、とくとくと説得しながら、逆に相手を納得させて別れる方法がよいのか。

 

悪女に関わったときと似ている。別れ方も似ていなくもない。相違点は、女の人は気が変われば、ふいとどこかに消えていってしまうことだ。あの変わり身の早さはお見事というしかない。こちらがあっと声を出す間もなく、あれだけしつこかった女性がいなくなる瞬間は、グルーヴしているといっても良いだろう。しかし煙草という悪友は、悪女よりも手強いしタチが悪い。人間として存在しないからだ。唯々私の身体と脳に寄宿している、居候よりタチの悪いへらへら笑いのスペードのジョーカー持ち。

 

まったく新しい別れの方法を、自分自身で探さなくてはならない。だが、その探している自分の中に、探さなくてもいいよ、という声が混ざってくるのが厄介なところである。これは強敵だ。

 

私にとって、生きているということ自体を救ってきたのは何か。音楽しかなかった。そして音楽をやってきたことによって出会ってきた数多の人達。いろいろな人がいた。本物の舶来ピアノを聴かせてくれた宅考二先生、ジャズピアノの大師匠、早稲田大学ダンモ研に入って出会った数々の友人、銀座のナイトクラブのバンマスや、そのまわりに群生していた有象無象の訳の分からない、だが魅力的だった人達、ピットイン朝の部で一緒に涙にくれたベースの彼、アメリカの学校で知り合った世界中のミュージシャン達、私のような者にも紳士的にピアノを教えてくれた、Mr. Steve Kuhn,日本に帰ってきてから出会った数々の仲間達、コペンハーゲンデンマーク北欧ジャズシーンを紹介してくれたトランペッタ−、キャスパー・トランバーグ、これらの出会い無くして今の私は存在しない。全てが音楽の導きである。そうだ、私の一番大切な、親友以上の存在、それは私の音楽だ。その邪魔をする者はやはり切らねばなるまい。私は無情になる事がある意味下手である。しかし、早々にお引き取り願おう。音楽が私を救い、多分私の音楽が誰かを少し救ってきたのかもしれない。世界中に音楽を通して友人もできた。これだけでも素晴らしいことではないのか。小、中学校とどうしようもない劣等生であった私としては、音楽のおかげで上出来な人生を歩んできたのではないのか。Mr. Kuhnに習っているとき、どうしたらピアノが上手くなるかという、愚にも付かない質問を拙い英語で聞いた時の答えが忘れられない。「Use your body just like a shrine」おまえの身体を祭壇のように扱え、直訳すればそうなる。その時は、私の質問の趣旨から離れた何か哲学的な言葉に聞こえたのだが、今思えば、Mr.Kuhnの仰るとおりだった。煙草は肺気腫動脈硬化から来る認知症を引き起こす。身体がおかしくなったらピアノが上手くなるもへったくれもない。Mr .kuhnの言葉は正鵠を射ていた。Mr.Kuhnはセロニアス・モンクが亡くなったというニュースを見たその日から煙草を止めたと言っていた。きっかけなんて人それぞれで良い。止め方も人それぞれだろう。私は止めてから何日と数えるのを止めた。吸いたいときに吸わなければいいだけだ。勝手に時間は前に進む。

 

別の自分に出会うとはまごつくことばかりだが、真の意味での自分一人、自分自身になれる良い機会だ。

 

スペードのジョーカーの色は、ニコチンタールと同じ黒色である。

 

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